詠春拳で「魔境」? 小念頭で起こった「幻覚」

攤手
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昔体験していたのに今は再現しなくなっていること

今、小念頭を1年半以上も休みなく続けていますが、若いころには体験していたのに今では再現しなくなっている事象が一つあります。

それはタイトルにもある、禅の「魔境」のような体験で、小念頭の伏手・攤手のパートを時間をかけてやっているときにのみ起こる現象でした。

ここではトンデモ系に捉えるのではなく、ちょっと真面目に考えてみます。ただ、私はこれから述べる禅や瞑想、脳科学の専門家ではないため、素人目線での考えになることをご承知おきください。

先輩の話

詠春拳を習い始めたとき、先輩から聞かされたお話。

「先生が学校の地下室で小念頭を練習しているときに何度か幽霊を見たそうですよ…」

というではありませんか。先輩自身はまだそんな体験はしていないとのことでした。

私自身は10代後半から20代前半まで、ずいぶんと「金縛り」現象に苦しめられていましたが、この先生の体験に関する話は地面に立って小念頭をやっているときの出来事ですからね。直接先生から伺ったわけでもないし、また自分からも聞けないし、あまり信じられなかったのですけれども。

おそらく私がそれに似た体験したのは、この話を聞いた9-10年あとのことです。

私の体験

そのころ私はスポーツクラブで「フィットネス・カンフー」という名前を付けて、クラブメンバーの希望者の方々に格闘フィットネスプログラムの指導を行っていました。

私は昼休みや業後に、スクールで使うスペースでよく練習していました。私のスクールのカリキュラムには、詠春拳的な練習として「直拳」くらいしか含まれなかったんですが、私専用のプログラムとして小念頭だけはよく行っていたと記憶しています。

ある日、少し長め、おそらく2時間ほど小念頭を行っていたと思いますが、スクールで使っていたスペースで信じられないことが起こったのです。

まず、かなり景色が明るくなり全体的に視界が白っぽくなった記憶があります。この中に得体の知れないものが見え始めたわけですが、一番印象的だったのは天井から髪の長い女の人が勢いよく逆さまに落ちてきて、その顔が私の目の前で止まって、十数センチ先の逆さまの女の人と目が合ったこと。髪の毛がバサッと下に下りたので、その青白くて無表情な顔が印象に残りました。その後しばらくの間、向かいの壁から同じように別の人が飛び出してきて私の顔を覗き込んだり、右の窓から飛んできた人が私の顔を覗き込んだり。みな無表情。彼ら(?)のこの、空中から「覗き込む」ような動作が独特で…。

私の場合はそれが不思議と怖くなく、縦横無尽に飛び回る人たちを無視し続けたらいつの間にか消えていました

イメージとしては「インディ・ジョーンズ/レイダース 失われたアーク《聖櫃》」のクライマックスシーンのゴーストみたいなのが飛び交うシーンのスケールダウン版、という感じですね。もしくは、手塚治虫先生の「ブッダ」という作品で、主人公のゴータマ・シッダルタ(=後に仏陀とかお釈迦様と呼ばれる人)が座禅をしているときに彼の周りに悪魔のようなものが集まるシーンがあったのを記憶しているのですが、それを彷彿とさせるものでした。

こういった体験は記憶しているだけで2回くらいあり、いずれも近い時期で、場所はこのフィットネスクラブの教室の中でした。

禅の魔境やマインドフルネス中の不快感みたいなものか?

私がこの幻覚の体験をして少し経ったあと、この現象はさきほど紹介した「ブッダ」の1シーンに近い状況ではないかと思うようになりました。それで、いろいろと調べてみると「魔境」と呼ばれるキーワードが浮かび上がったのです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/魔境

禅の修行者が中途半端に能力を覚醒した際に陥りやすい状態で、意識の拡張により自我が肥大し精神バランスを崩した状態のことを指す。

ウィキペディア (Wikipedia)「魔境」2022/01/15現在

なるほど。小念頭には立禅的な要素があり、たまに別に行うこともある瞑想と非常に近い印象があります。その中で私は精神バランスを崩していたのか(笑)。

魔境についてはすでに詳しくまとめてくださった方がいるので、そちらを参考にしていただいたほうが良いでしょう。

坐禅普及
魔境(1)――坐禅の生理学的効果(10)(補訂板) - 坐禅普及 ※本稿は投稿者の記事の管理の不充分さから 冒頭部にかつての投稿と相当程度重複する点があるまま 2020年8月8日投稿いたしました。【参考】 ○扁桃体の活動の低下によ...
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基本的に、魔境というのは禅の初学に起こりがちで、また自分が進化したかのように勘違いさせる厄介者という側面があるようです。私自身、過去には体験したが今は起こらない、というのも私なりに少しは進化しているのだろうということなんでしょうかね?

瞑想による扁桃体の活動抑制

禅、瞑想、マインドフルネスでは、脳の扁桃体(=感情の中枢)の過剰な活動を抑制してストレス反応を抑える効果があるようです。

MELON
マインドフルネス瞑想による脳の鍛え方 ~扁桃体と前頭前野の仕組みとは?~ ネガティブな感情によって自分自身を見失わないようにしたいと思われている方は多いでしょう。実は脳の部位である扁桃体と前頭前野が感情をコントロールための鍵。本記事で...

扁桃体の活動は、瞑想で活発化された前頭前野(=理性の中枢/人間において高度に発達した部分)でコントロールできるという内容が紹介されています。おそらくは詠春拳の小念頭でも、特に攤手や伏手を練習している間は扁桃体活動の抑制のようなことが起こっているのではないかと推察されます。

先ほど紹介させていただいた「座禅普及」さんの記事では、幻覚や妄想が表れる統合失調症の患者さんの扁桃体(特に左側)が小さいなどの観察結果が見られることなどから、扁桃体の「極端な活動低下」により統合失調症の症状に似た症状が起こる可能性があるのではないか、ということに言及されています。

確かに、フィットネスクラブのあの体験を思い起こすと、極端に長い時間集中状態にあったと思うので、私の場合もその可能性はあったんじゃないかな…という気がします。

そういえば、フィットネスクラブで小念頭を中高年の健康法のひとつとして紹介することができないか、詠春拳の先生に相談したことがありました。そのときの先生の返答が

「それは止めたほうがいいんじゃないか? 高齢者の認知症を促進する可能性があるよ」

というものでした。当時は「小念頭はむやみやたらと教えるもんじゃない」という単なる戒めの言葉ではないかと考えていたのですけれども、扁桃体の話を照らし合わせると、あながちでたらめとは言いがたかったのかもしれません。

https://bibgraph.hpcr.jp/abst/pubmed/9370084

こちらは扁桃体 – 海馬複合体に関する記事で、その縮小と記憶機能障害について述べています。

小念頭によって一定時間扁桃体の活動抑制が起こったからといって、それが直接扁桃体の縮小、海馬(=顕在記憶の形成に不可欠)の縮小に結びつくとは限りませんが…。直接的な証拠はないにしても、関連の可能性を示すことが出来ていた先生の当時の知識に脱帽です。

いずれにせよ、小念頭を(私のように)健康法として採用しよう、指導しようという人は頭に入れておいたほうがいいかも。

脳の酸素不足

また、「座禅普及」さんの記事内で紹介された書籍「新井公人監修『脳のナゾ』142~143頁」の引用に当たる部分。原著はすでに廃版のようですが、臨死体験についての引用があり、そのなかに

≪脳は酸欠状態に陥り、暴走をはじめる≫

脳のナゾ 新井公人

≪脈絡のない記憶が次々と現れてくる≫

脳のナゾ 新井公人

という強調文が記されています。

これらを先生の説明に合わせてみると、妙に腑に落ちるところがあったのです。それは、

「小念頭を続けていると、次第に呼吸が浅くなっていくことが分かるだろう」

というもの。

小念頭では、少なくとも私が習った段階においては意識して呼吸を操作することがありませんでした。ですので、このように「自然に浅くなる」とか「攻撃時や被弾したときに自然に吐かれる」とか、呼吸が受動的にコントロールされる形での説明が多かったのです。

でも、なぜに浅く? 空手や太極拳など、武術の類書を読むと「深く呼吸して丹田に沈めて…」「腹式呼吸に、逆式呼吸に…ヤレソレ」などまるで逆といってもいい説明があるのに。このことに触れると長くなってしまうので、詠春拳の呼吸についてはまたいずれ。

呼吸が浅くなるのは、小念頭では姿勢を最低限維持できるだけの極度の脱力を学ぶので、おそらくは酸素の必要量が少なくなることから自然にコントロールされていくのだと思います。ただ、浅くなりすぎることでもしかしたら脳への血流低下が見られる場合があるのかもしれず、それが著者の新井さんの説明のようなことが起こる原因になったりすることはないのでしょうか?

さらに、前も述べたように立位で長時間立つことは、重力によって下半身に血液が滞留した上で、下半身の筋緊張の持続によってさらなる血流阻害が起こり、脳の一部の部分への血流が不十分になったりしないでしょうか? そこへ、浅い呼吸。なんか、新井さんのいう「幻覚」が起こる条件が揃ってしまっているようにも思えます。

もちろん、新井さんがおっしゃっているのは「臨死体験」のレベルであり、小念頭や瞑想でこれほどの酸素不足が起こりうるのかは分かりません。ただ、私に関していえばもともと血圧も低く、今でも立ちくらみは頻繁にありますから、起立性低血圧に近い状態が続いていた可能性は否定できませんね。

まとめ

過去の私には何度か訪れた「魔境」も、今では2時間ぶっ続けで小念頭を行ったところでその片鱗すら起こりません。

ここでは私に起こった「魔境」の、いくつかの考えられる原因について調べてみましたけれども、慣れないうちには扁桃体が極端に抑制されすぎたり、心臓血管系のコントロールがうまく行かなかったりというようなことが起こりやすかったのかもしれません。特に私は血圧が低めのことが多いですし。それが長期に渡る訓練で完全に防止できるようになった、というところでしょうか?

いずれにしてもまだまだ私は修行の途中であり、これらにはまだ続きがある可能性も捨てきれません。また何か気づいたことがあったら報告させていただきます。

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