溶城小学校に来られた達人の話

大山倍達総裁の動画を見ていて、ふと小さい頃の記憶が甦ったので、その思い出を書いておきます。

(サムネ写真はイメージです。これから紹介する方とは関係ありません)

私は8歳の途中まで鹿児島県の種子島に住んでいました。宇宙センターやサーフィンなどでも有名な島ですね。

私が住んでいた頃はすごくのどかな、田舎の島だったんですけど、そんな島にも時々芸能人や有名人が来ては島民を楽し見せてくださいました。その舞台となるのは毎回、私が当時通っていた溶城小学校の体育館だったと記憶しています。

この溶城小学校は赤尾木城という城趾に建てられた小学校です。私の母方の祖父もこの赤尾木城で種子島家に仕えていた人で、祖母もルーツに平清盛を持つ家系でした。母は赤尾木城のお姫様と同級生だったとも聞いています。

私がこの体育館のイベントに参加した一番古い記憶は、「ちあきなおみショー」でした。中身はほとんど記憶に残っていないのですけど、父がちあきなおみさんの大ファンだったので、家族みんなで見に行った記憶があります。少し曖昧ですけど、ちあきなおみショーは2回行った記憶があるんですよね。すごく人気がありました。

次は青江三奈ショーだったと思います。こちらは宣伝看板を見た記憶が残っていますが、やはりショーの内容までは覚えていません。

そんな中で一つだけ、今でも内容を覚えているイベントがあります。と言っても確か、これはちあきなおみショーとか青江三奈ショーとかとは異なり、学校の授業の一環として講演をしてもらった形で、生徒以外の参加も可、といったスタイルだったんじゃないかな?

講演者の名前は今となっては分かりません。多分、40-50代くらいの、背広のズボンにワイシャツを着た、身長は普通程度だけれどもやたらと横に体格がいい、頭髪が少ない中年の男性でした。この方がいろいろと何かの講演をしてくださるんですけど、後半はその実演が行われました。

このおじさんの実演には当時の小学生たちも先生方もみんなビックリ仰天でした。なんと、次から次へと出て来る自然石を振り下ろす手刀でやすやすと割ってしまうではありませんか。このころ、父が五右衛門風呂にくべる平たい薪を左手に持ち、右手で何枚も続けて割るのを見たことはあり、この種の技については他の子たちより私は免疫があったと思うのですが、さすがに大きめの石を連続して割るのは想像を超えていました。

そしてもう一つ覚えているのが鉄棒を使った演武です。大人数名が長めの鉄棒の両端を持って、その真ん中辺をおじさんの首に当てました。その後おじさんは前屈立ちとなり、左右の大人たちは思いきり鉄棒をおじさんの首へ押し当てるではありませんか! みるみるうちに鉄棒はくの字に曲がってしまいました。

これは本当に衝撃的な体験でしたね。

これがちょうど50年くらい前の話になるので、当時45歳-55歳だとしたら、ご存命だとしても95-105歳くらいになると思います。私の記憶では体格やお顔が窪田登先生のような感じだったと思うのですが、このことを最初に思い出したときには、「まさか、大山倍達総裁?」とか思ったものです。でも、大山総裁の演武で鉄棒曲げは写真も動画も、見たことがありませんし、記憶では大山総裁とはしゃべり方が異なっていたと思います。他に空手家の方を調べてみると鈴木正文師範にも似てらっしゃいました。鈴木師範の書籍は私も持っていて、高校時代に習った型をおさらいするのによく利用させていただきました。

もちろん、そんな感じの方は他にもたくさんいらっしゃる可能性があるので今となっては溶城小学校の体育館に来て下さったのがどなたなのか、調べようもありません。50年前のことで当時の私は6-8歳と思われるので、紹介した演武が本当にそのようなものだったのかすら明確ではありません。いずれにしても、このとき演武をしてくださった方はもしかしたら潜在的に、私が武術に向かうきっかけを作ってくれた人の1人なのかもしれない、と思っています。

お名前も分からない達人の方。今さらながらに感謝の意をお伝えしたいと思います。

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