力を抜くレベルの話

詠春拳を習い始めてしばらくの間、とにかく「脱力しなさい」ということを言われ続けました。

当時、フィットネスインストラクターをしていた私の場合、この脱力という言葉がかなり引っかかった、というか余計な知識があるせいで理想の状態を正確につかめていなかったように思います。

正直、先生や先輩がおっしゃるように極限まで脱力してしまったら、そのまま地面に「クナッ」と倒れてヘロヘロになってしまうではないか、と。

結局はスポーツなどでもよく知られる「ディファレンシャル・リラクセーション」のことを言っているのだと頭の中で理解してからは、自分の中で極力それが実現できるように努力するようになりました。

ディファレンシャル・リラクセーションとは、必要な筋肉を動作や姿勢維持に必要な分だけ緊張させ、それ以外をできる限りリラックスさせることをいい、これはスポーツにおいては重要な概念ともなっています。

そのイメージで小念頭の練習を続けて、自分なりに脱力イメージが出来ていた頃、当時の先生がおっしゃいました。

「脱力というのは、今君が行っている攤手の上に一円玉を乗せたとき、その重みで腕が下がってしまうくらいのレベルの話になるのだよ」

と。私の攤手にはまだまだ力が入っているというのです。

もちろん、実際には1円玉が乗ると、私たちの体はそれに反応してその1円玉に対応するために必要な筋緊張を追加するでしょうから、本当に腕が下がってしまうようなら私はマズいと思うのですが、それくらいのレベルで脱力を考えなさい、という戒めだったのだと思います。

未だに、その次元の脱力を私が実現できているかというと、正直自信がありません。でも、小念頭の最中に呼吸のリズムが変わったり、少し姿勢が変わった瞬間に、脊柱が「ポキポキ」と音を立てるくらいにはなっているので、20代、30代の頃よりは力も抜けてきているのではないかな、程度の自覚はあります。

趣味として楽しんでいるMTBなんかも、少しずつ脱力が進んできている影響で疲れにくくなったな、という自覚があります。これはどんなスポーツにも共通することだと思いますが、はやる気持ちとか少しでもうまくやろうと意気込んでしまうことが小さな力みを生んでしまうことがあります。例えば、MTBを一人で走らせているときにはうまく脱力出来ているのに、パートナーと走っていて「負けないようにしよう!」と思ってしまうと、気付かないうちに力みが生じて必要以上に疲れてしまう、ということがよくありますね。また、最近はほとんど機会がないけど、初めて一緒に練習する人とのスパーリングなんかもそうです。どこかで「勝とう」と思っていたりする。スパーリングを勝ち負けで考えない、自分を磨くための手段という認識があれば、むしろうまくいくものですよね。

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