JEET KUNE DOのFINAL STAGEとかLAST STAGEとか

本日はブルース・リー先生の、81回目のお誕生日ですね。おめでとうございます。

目次

FINAL STAGEとかLAST STAGEという言葉の違和感

最近、こんな動画を見つけました。

サムネイルになっている画像は、ブルース・リーがエキストラの一人にチャレンジされ、相手をしているときの写真であると言われています。だとすると、リー先生の実際のスパーリングに近い動きをされている可能性が高いといえますね。

そこで、「ハッ」となったわけです。(というのはウソで、実はもともと思っていたことだったりしますが(^^;))

最近、截拳道の一部の伝承者の間で”FINAL STAGE“とか”LAST STAGE“という言葉をよく聞くようになりました。彼らによれば、それまで「形にとらわれない」と言われることが多かった截拳道も実は他の武術のように完成された体系を持っていて、例えば基本的な立ち方などもセンチ単位での規定がある、という人もいます。

で、ファイナルステージを謳っておられた(?)、ブルース・リーのプライベート・スチューデントの一人、テッド・ウォン先生のインタビューや、その忠実なるお弟子さんであるテリー・トムさんの資料「ストレートリード」を改めてひもといてみることにしたわけです。

P59 <図9> 左の膝が正しく内側に向いていること。体重が両足の中間に来るように感じる。

ストレートリード」テリー・トム=著 截拳道練習館 Tiny Dragon=監修 訳 (私が所有するのは新装版ではないほうです)

対エキストラ戦のリー先生はサイドキックを狙っているのか、後ろ足の膝、開いてますが。リー先生は基本をちゃんと守らないといけませんね。

P74 <図22> フロント・ハンドの正しいポジション。上腕と胴体側面に隙間がなく腕全体は完全に弛緩した状態だ

ストレートリード」テリー・トム=著 截拳道練習館 Tiny Dragon=監修 訳 (私が所有するのは新装版ではないほうです)

…対エキストラのリー先生のフロント・ハンドは胴体と肘の間に拳1個分の隙間があるではないですか! 基本中の基本が守られていないですよ、リー先生。

そういえばリー先生の肘のポジションは、1960年代後半に撮られた写真を満載した”Bruce Lee’s Fighting Method: The Complete Edition (English Edition)“のころから一切変わってないですね。この書籍によれば、先に挙げた「後ろ足の膝」については確かに内側に入れている写真が多いですが、たまに上記のエキストラとのスパーリングのような、脚が外側に開いた姿勢を取っているものも見受けられます。

P301 テッド: ええ。彼がリードハンドを打つところを最初に私が見たとき、少し曲がって弧を描いていたように記憶している。特に引き手の時にそうだった。それが後で、まっすぐになっていったんだ。まっすぐ出てまっすぐ引く。それで、よりコンパクトになり、より中心線の守りが強固になった。今でも弧を描くように打つ人もいるが、そういう人はリードパンチの初期型を学んでいることになる。

ストレートリード」テリー・トム=著 截拳道練習館 Tiny Dragon=監修 訳 (私が所有するのは新装版ではないほうです)

これはテッド先生の言葉。むむ…。

先述したの1960年代後半の一連の写真や、対エキストラ戦の動画の中に出て来るパンチの打ち方なんかを見ても、1960年代後半に”Black Belt誌”の記事用に撮られた写真のままの印象で、(少し)弧を描いて、というか出拳時より内側を通って戻ったようなフィニッシュが見てとれる気がします。これは、オンガード・ポジション(構え)からフィニッシュの瞬間に胴体がリードハンドの前進に合わせて回り、その体が元に戻るより先に腕が戻ることによって起こるのでしょう(この用法の別解釈をダン・イノサント先生の高弟、中村頼永先生がTVで紹介しているのを見たことがあり、単なる動作にもいろいろな動きがあるのかも)。

映画「ドラゴン危機一発」なんかでも結構そういうストレートパンチを放っていて、これはアクションに慣れていなくて「(アクションが)荒削り」と表現されていたころに当たるので、その後の映画より素直に彼の武術を表現している部分もあるように見受けられます。彼が自分がこれから香港でスターになる、という思いをダイレクトにぶつけるようなその演技もあり、私は一番好きな映画だったりしますけれどもね。

さらに後年の「燃えよドラゴン」のアウトテイクで見られるストレートなどは、映画的な表現なのかもしれないけど若干弧を描いてます。

いくつかの例を紹介してきましたが、いわゆるFINAL STAGEの教科書(?)とスパーリング写真や動画を見比べた結果、リー先生は晩年に自ら規定したとされる基本的なルールを全然守っていなくて、ダメダメじゃないですか……。

というのは冗談きつかったかな。

私の率直な感想

テッド・ウォン先生のフォームや動きがブルース・リー先生の動きのコピーのようで、似ている…という話を聞くことがあります。

P294 誰もがウォン師父の截拳道実演を目の当たりにするならば、彼ほどブルースそっくりに動けるものはいないと思うに違いない。

ストレートリード」テリー・トム=著 截拳道練習館 Tiny Dragon=監修 訳 (私が所有するのは新装版ではないほうです)

誰もが、ですか…。第三者の私が拝見した限りでは「似ていない」かなあ…。

ブルース・リーはもちろん、テッド・ウォン師父にも直接お目にかかったことがないので、直接の比較はできません。なので、リー先生に関しては持てる限りの資料を確認したうえで、テッド師父に関してはウィリアム・チュン師父との共著、リチャード・バステロ師父と共演の技術ビデオ、その他のYouTube動画を見て比べてみました。しかしながら、何度見ても私には「そっくり」「似ている」とは思えない。私の見る目がなかったとしたら、それは申し訳ないですけれども。

1967年の空手トーナメントでブルース・リーがお弟子さん2名とスパーリングしている動画、Bruce Lee’s Fighting Methodの解説写真、あるいはこのページの最初に挙げたエキストラとのスパーリング風景のいずれを見ても、ブルース・リー先生のオンガード・ポジションはテッド先生に比べて重心低めなんですよ。テッド先生やテリー先生のように、前足を伸ばし気味に構えているのをほとんど見たことがありません(あくまでオンガード・ポジションの話です。逆にリー先生が動きの中で膝を伸ばしたり、テッド先生が膝を曲げたりというのはもちろんありますからね)。

上腕と体側についても、リー先生がテッド先生やテリー先生のようにスキマなく構えているのをほぼ見たことがありません。リー先生自身の(没後の)著作である”Tao of Jeet Kune Do“のオンガード・ポジションの記述では確かにそんな感じに見えたりもしますが、本人はそうはやっていない。

こうやってみるとFINAL STAGEとかLAST STAGEというのは結局、ブルース・リーに教えてもらったものをお弟子さんが規定を進めた結果なのではないかと、第三者の私には感じられます。

直前の引用(P294)の直後に書かれた、こちらのほうがより重要な側面ではないでしょうか?

P294 彼のそれらのテクニックは30年以上前よりもさらに熟達し、正確さとパワーはさらにアップしている。

ストレートリード」テリー・トム=著 截拳道練習館 Tiny Dragon=監修 訳 (私が所有するのは新装版ではないほうです)

この引用の彼とはテッド・ウォン師父のことです。

以上はもちろん、直弟子の方々のお考えや、それを引き継いで指導されている方々のお考えを尊重した上で述べた、外野にいる私の個人的で率直な感想です。

楷書、行書、草書

武術や芸術を学ぶ上で、守破離、という言葉がありますが、ここまでが「形の比較」を主テーマにしていたので、文字の書体である楷書、行書、草書に絡めて触れてみたいと思います。

正確な定義ではないですが、私の印象では、楷書とは現代文字の正確な書体。行書はそれを速く記述できるように連続性を持たせて少し崩したもの。草書はほとんど原型が分からなくなるくらい崩れたもの。

資料: 「https://shodo-kanji.com/b1-1-1kanji_style.html

前にも紹介させていただいた「鉄砂掌―中国拳法・秘伝必殺」という書籍が手もとにあります。こちらにこんな表現がありましたので、紹介させていただきます。

[実戦使用法における型の根本的な姿式]

以下に紹介する実戦使用法は、実戦時の体の動きであるので、初心者の行う対打ではない。したがって、拳を腰に引きつけた姿勢を取っておらず、実戦的に崩している。文字を書くときと同様に、崩しているのと崩れているのとでは意味が違う。ここに姿勢として紹介しているのは、書道でいう行書であり、筆者の行っている使用法は草書に当たる。

鉄砂掌―中国拳法・秘伝必殺 龍清剛著

ブルース・リーがスパーリングで見せる、少し腰を落とした柔らかい姿勢は、この行書とか草書に当たるものなのかもしれませんね。テッド先生達はきっちり楷書を伝えていると。ただ、テッド・ウォン先生系統のフォームに見られる「上腕と胴体側面に隙間がなく」というあたりを見ると、オンガードポジションのコンセプトが全く変わってくる気がするので、そこは世代を経ての変化とかに思えますが。

でも、私はそれでいいと思っていて、どんな武術でも結局指導者によって、武術はその人を通すことにより自然に変化し、世代を経ると微妙な差が生まれていきます。時間を経て、その間の工夫があるからこそ、武術は発展していくともいえるでしょう。

私が普段練習している詠春拳の小念頭も、同じ葉問宗師から始まっている系統でも、現代世代の指導者や学生が演じるものを比較するとお互いに全然違ったりしますよ。でも、先生方は教えていただいたそのままを伝えている、とおっしゃる。

人それぞれ特性が違いますし、リー先生とテッド先生は全く別の人間で体の使い方や得意な動きも違います。

ブルース・リー先生が詠春拳の修行を中断して全く異なる体系の武術を作っていったのも、リー先生の右足と左足の長さがかなり違っていて、左右均等な使い方をする詠春拳があまり合わなかったという理由があるのかもしれません。ジュンファングンフーという、初期のブルース・リー流詠春拳を見ても、右前左後に構えて前後の役割に差異を持たせるというようなところで、すでにその傾向が見られるように思います。

テッド先生にブルース・リーのようなハンデがあったとは聞きませんし、テッド先生には截拳道を習い始めた段階で、中国武術のクセなどがなくピュアでもありました。ですので、テッド先生とリー先生に微妙な差や一部大きな差が生まれてもそれはしかたがないことだと思うのです。

まとめ

なんで今、こんなことを書いているかというと、テッド先生系統を紹介する場合に「私たちのものは本物で、ほかのは偽物(あるいは古い/ファイナルじゃない)」というような表現をしているケースが多々、見られるからです。最近もそんな紹介をされた動画を見たばかりで、これはあまりいい傾向ではないと私には感じられました。

リー先生と系統的に全くつながりがない人が、見よう見まねの「截拳道」で商売してしまえばそれは問題ですが、リー先生から直接習って一定水準を満たした別の師匠の系統を貶める、というのはちょっと残念すぎる行動だと私は思います。

P249 この30年以上もの間、いわゆる”ジークンドー・インストラクター”と呼ばれる者が、ブルース・リーが開発していない、もしくは一度も練習していないような技術を教えてきた。
ある場合では、彼らは、例えばカリやエスクリマのような東南アジアの格闘技を、ジークンドーと偽って表現してきた。

ストレートリード」テリー・トム=著 截拳道練習館 Tiny Dragon=監修 訳 (私が所有するのは新装版ではないほうです)

こちらも先ほどから紹介している「ストレートリード」からの引用ですが、この書き方では”ジークンドー・インストラクター”が特定されてしまうのではないでしょうか。少しでもブルース・リーに詳しい人なら、ダン・イノサント先生が思い浮かんでしまうのでは…。

私はダン・イノサント先生の系統のセミナーに2日間ほど参加しただけで、詳細までは分かりませんけれども、あくまでそれは「イノサント・メソッドのセミナー」であり、カリやエクスリマ、シラットなどと截拳道のカリキュラムは明確に区別されていましたよ。

修了証
修了証

私の修了証を見ても、截拳道はイノサント先生が提供されているカリキュラムのひとつに過ぎないことがわかります。

とりあえず、私の截拳道の関わりはこのセミナーのひとつとして行われていたカリキュラムの経験のみ。そういうレベルの第三者からみたら、もう開祖も亡くなっていますし、誰が何を言っても本当のことは分からないことなので、正直どっちでもいいのです。ここまで見比べてきたように、私にはFINAL/LAST STAGEと表現されている截拳道が必ずしも後年のブルース・リーに近くないように映りますし、今では「ブルース・リーはブルース・リー」、「截拳道は截拳道」としか思いません。※

(※ 私自身、ブルース・リー本人が定義する截拳道について見失いつつあったので、「ブルース・リー自身が語る截拳道」にまとめ直しました)

まあ、この私の記事も私の一方的な見方に過ぎず、もっと截拳道を大切にされておられる修行者の方々など、他の意見が百人百様あるでしょう。ひとつの截拳道を大切にして、徹底的に修行するのも人それぞれ。でも、個人的にはひとつの意見に盲従するのではなく、心を開いていろいろな意見を聞いてみるなど、互いに尊重する気持ちを持つのもいいことなんじゃないでしょうか

今日はブルース・リー先生の81歳の誕生日というおめでたい日です。みんな、仲良くしましょう! ブルース・リー先生ご自身も、ロスト・インタビューの中でおっしゃっているではありませんか。

…あ、詠春拳同士も仲良く、仲良く…

女優・森累珠さんの完全再現動画など見ながら、リー先生の誕生日を過ごしましょう!

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