攤手と伏手に感じる感覚の違い

伏手
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直拳・攤手・伏手の軌道

小念頭を習い始めたとき、「基本的に直拳と攤手と伏手の軌道は同じ」と習いました。ただ、私が習った団体ではそれぞれに微妙な違いがあって、攤手は脇の下から中線に向けてまっすぐ出すのに対し、伏手と直拳は体の中心から常に中線上に置いたまままっすぐ前に出しました(※1)。

その後、「攤手と伏手は正しい軌道を守ると肘を伸ばしきることができない。無理に伸ばそうとすると軌道が崩れ、肩が上がる」と教えられたとき、当然の疑問として「では、直拳は? 攤手や伏手と軌道が同じなら肘を伸ばしきれないことになりますよね?」と聞くと、「あくまで小念頭では肘を伸ばしてください」とのことで、この辺りの詳細はごまかされました(※2)。

まあ、軌道のイメージはその通りなのかもしれませんが、小念頭で練るときの感覚はその用途の違いから相違があります。今日はそれをテーマに気づいたことを書いてみることにしましょう。

(※1) 直拳が中線上で動くのは基本ですけど、実際の適用時には攤手で練習するように少し外側から中線に向かって打ち込むのも許容だと言われました。また、攤手についても他団体では多くの場合中線上を動くことは承知していて、それも間違いではなく、あくまで私たちの団体では脇の下から出すようにしている、という話でした。

(※2) こちらもある程度打ち方を分かってくると、ある程度スピードを付けて打つことで軌道を守りつつ肘を伸ばしきることは可能だということが理解できます。これは、肘の過伸展を防ぐのにも重要なことですね。過去に私は右の寸掌を強打したとき、軌道を守れずに肘を過伸展してしまい、激しく痛めたことがあります。これは30年以上経った今でも不調を引きずっていて、今でも後悔していることの一つ。きちんと軌道を守れれば全く痛くないですけど、ちょっとミスすると肘関節で上腕骨と尺骨の関節面がぶつかるような痛みがあります。この怪我は本当にしつこくつきまとうので、「しっかり軌道を守る」という点については、これから詠春拳や打突系の格闘技を始める方には十分に注意していただきたいところです。

実用と小念頭の間の感覚の違い

攤手は前から来る相手の攻撃を、下側から、かつ自分からみて内側から外側へかき分けながら指先を前に向けて出す技です。それに対し伏手は、攻撃に対して上側から、かつ自分から見て外側から内側へ抑えつつ手を前に向けて出す技です。

このように考えると両者の筋肉の使い方は全く異なるはずですが、力を抜いて最小限の力で練習する小念頭は、両方とも重力に対して抗いつつ行う形になるので、手を前に動かす筋肉群の働きは非常に似てきます。最初はまず軌道を作ることを考えますのでそれでもいいのですが、練習を積むにつれ、両者の違いを理解しながら練る必要があると思っています。

ちなみに直拳は攤手のように下からかき分けるように打つこともあるし、上から押さえつけつつ打つこともありますので、両方の要素がありますね。個人的な感覚では、直拳で連続攻撃するときは相手の手が上から来ようが下から来ようが、また内側から来ようが外側から来ようが関係なく同じ打ち方で対応している気がします。つまり、相手の攻撃に関係なく、軌道を守ることができる感じです。

小念頭の感覚を実用に近づけていく

何度も書いたように小念頭では脱力することが非常に重要です。反面、小念頭の感覚と実用の感覚を近づけていく練習もしないと、前述したように本当の筋肉の使い方から少しずつ乖離していく可能性もあると私は思っています。

ここから述べることは先生に習ったことではなく、長く練習していく中で自分でやり方を作ってしまったものなので、必ずしも正しい方法ではないということを前提にお考えください。

最近の私は、自分の攤手や伏手に対して実際に相手の力がかかっているような具体的なイメージを持って行っています。これに関しては護手に関しても同様です。

そんな中、攤手の場合は、自分の腕に対して重力がかかる方向が相手の力が加わる方向とかなり似ていることで、きちんと脱力ができていれば、習ったままの意識でかなりイメージをしやすくなります。私の先生は、「伏手より攤手のほうが感覚をつかみやすい」とおっしゃっていましたが、それにはこのような理由があるのかもしれません。

さらに、小念頭で攤手を練るやり方について先生が言うには

「掌に一円玉が急に乗っかったら、そのまま掌が落ちていくくらいのギリギリの力、極限の脱力が必要」

とのことでした。今も基本的にそのイメージですね。

それに対して、伏手の場合は相手から加わる想定される力は重力とは反対方向に近くなります。なので、相手の動きを抑えるイメージを持つと、肘を前に出す筋肉は同じでも、相手の力を制する筋肉は攤手とは逆に近いイメージになりますね。そのような筋肉の使い方も学ばなければならないため、極限の脱力に近いイメージを持ちつつも、動作イメージとは反対の筋肉を適度に使って、ゆっくり肘を動かしながら伏手を前に出していくような感じで行うことも多くなりました。

そういえば、先生から「伏手は『意識』で角度を守る」という指導を受けたことがありました。思えば、今私が小念頭で行っている伏手の操作はこれを元にしているような気がします。

実は、このイメージで伏手の練習を行うようになってから、寸勁の打ち方が変わってきました。

初期の頃はブルース・リーのフォームを真似してみたり、あるいは完全に脱力した状態からいきなり拳を打ち出すイメージなどを使っていました。

その後、詠春拳の初歩的な寸勁の打ち方を習いました。瞬間的に肘(と肩)に力を溜めたあと打ち出す感じです。以降はこの寸勁を練習するようになりました。

反発し合う張力をコントロールする

そんなある日、内家拳でよく使われる「蓄勁」という言葉に触れます。「蓄勁」と「発勁」は一対で、蓄勁がなければ発勁もない、ということなんですね。

詠春拳では、自分の攻撃に対して相手の防御や攻撃によるストッパーがかかった状態から、拍手などでそのストッパーを取り除き、前に進もうとして溜まっていた力を一気に解放して攻撃する方法がよく知られています。おそらくはこれも「蓄勁」の一つで、ストッパーが外れた瞬間「発勁」になる形態だと思います。(※)

(※)蓄勁、発勁というとなんか神秘的なイメージを持たれかねない気がしますが、私は単に「蓄勁=力を溜めること」「発勁=力を発揮すること」として捉え、特別な印象を持っていません

小念頭の伏手イメージを練る中で、相手のストッパーを利用せずに、自分の意識でストッパーを作れないかな、と思い始めました。

いつでも自分の拳は相手に対して飛び出したがっている。飛び出すために使う筋肉群(主動筋群)が発揮する張力を、その反対の役割を持つ筋肉群(拮抗筋群)の張力を使ってストッパーにしている。この意識で抑えていた反対の筋肉群の張力イメージを一気に解放すると、飛び出したがっていた拳が勢いよく飛び出す、という感じです。それまで練習してきていたものよりも威力が出せる感じでもありましたし、30代前半の頃にはよくこのイメージで寸勁のデモンストレーションを行っていた記憶があります。

本当の意味で主動筋群と拮抗筋群の張力のコントロールがそんなにうまく行くとは思えず、私の中ではあくまで「そのような」イメージであるのに過ぎませんけれども。それに、この方法だと瞬間的に力を溜める方法や、相手の力を借りて溜めた力を解放するのに比べてちょっと時間がかかる傾向にあるような気もします。実用においては単発で技を使うことはほとんどないですから、攻防の最中に力を溜めることもできたりするので、使い方は工夫次第かな。

もちろん、寸勁に限らずどんな技にせよ、このイメージだけが大切なのではありません。このころには後ろ足の踵から拳まで力がダイレクトに伝わるイメージがありましたが、このように全身がうまく連動する必要があります。いずれ、このあたりについては動画に撮ってご紹介しようかな、と思っています。

比較的最近の話になりますが、2019年に購入した「筋力を超えた張力で動く」(JIDAI著)を読んだとき、そこで紹介されていた反発する張力のイメージは私の持っているイメージとかなり近いことに気づき、とても興味を持ちました。この書籍は武術の書籍ではないんですが、非常に参考になる身体操作法が多数紹介されていたので、武術を練習する際にもいろいろと参考にさせていただきました。興味がある方は、実際にお読みいただければ、と思います。

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