拳は握らない?

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剛柔流空手で指導を受けたこと

高校時代に三戦の練習をしているとき、師範が

体は常に締めておくものでないし、拳は終始硬く握るものではない。普段はリラックスしておいて、突きを決める瞬間に息を吐くのに合わせて筋肉を収縮させ、握るのだ

とおっしゃいました。そう、初学の私は私は三戦の最中、常に体をガチガチに固めていたのです。

「最初から体を固めて拳を握りしめているようでは、強い突きは打てない」

ということが理由だそうです。

師範によれば、三戦の場合は「両手を肩の高さに揃えて肘を閉めた瞬間と突きを決めた瞬間の2回」、筋肉と拳を固めることになります。また、この瞬間については「チンクチに力を入れて、ガマクを入れる」というようなこともおっしゃっていて、このタイミングで師範がチンクチ(両肩、脇)、股などを叩き、突き、蹴って締めるのです。

師範や上級者による「締め」はおそらく、打撃に対して耐性を付けるため、というより、締めた部分を意識させるものであったような気がします。ただ、ガマクがしっかり入っていないと、後ろから股に入った蹴りが金的に響くのでとても緊張したものです。また、水月を突かれて効いてしまう練習性も…。

さて、このうち「拳の握り」について教えられた「当たる瞬間に握る」ことについては、その後いろいろな打撃系格闘技を体験したときにも同じことを言われることに気づき、「そういうものなのだ」と思っていました。

空手に関しては、拳の握り方ひとつを取ってもかなり厳しく指導されました。四指の第一関節と第二関節を深く折り込み、指の腹同士を密着させた後、中手指骨関節をしっかり折り込んで直角にし、最後に示指と中指を折り曲げた拇指で抑えます。指の腹同士を密着させるのは、骨折などの怪我を防ぐためです。

詠春拳を習ってみて

さて、詠春拳を習い始めてまず感じたこと。空手では拳の握りをあんなにうるさく言われるのに、詠春拳ではその指導が本当に緩かったな、ということ。外から見た形は空手と同じ形なんですけど、

「空手みたいに、しっかり握りこむのでいいのですよね?」

と確認したら、

「うーん。それが握りやすければそれでいいよ」

という感じ。

また、当てる位置も比較的曖昧で、空手では「示指と中指」の中手指骨関節を使ってインパクトしますが、詠春拳では自然に当たる位置を使うとのことでした。拳の軌道を守るために、自然に中指、薬指、小指の付け根が当たることになるだろう、という感じ。これは低い所を突けば、空手同様、示指と中指が当たることになります。

この辺りは事前に資料を見て理解していた部分ではあるのですが、この拳を相手にぶち当てて大丈夫なのかな…?という疑問は常に残りましたね。このころはビデオデッキを持っていたので、ボクサーがシャドウボクシングで拳を握らずに行っている姿をよく見てはいたのですが、グローブをつける前提と素手は異なりますし。

そういえば、詠春拳の手の形というと、拳と掌、標指くらいしかないですね。これらもちょっとした注意があるくらいで、あまりうるさくなかった印象があります。掌や標指(空手の貫手のような指先で突く形)については、別途項を改めます。

拳を握っていないのでは?

詠春拳を習い始めて少し経ち、先生や先輩が直拳を連続的に打つときや、黐手、過手などで相手を打つとき、砂袋を打つときなど、あまりしっかり拳を握っていないことに気づきました。ですが、完全に握っていないその拳で突かれると、突きの威力が内臓や背中まで響いたりするんです。

ブルース・リー物語」という、バッタ系のブルース・リー伝記映画があります(ブルース・リーが努力して強くなっていたことが表現されていて、結構好きなんですよ、これ)。この中で、主演の何宗道が、葉問宗師のご長男、葉準老師とラプサオを練習するシーンがあるんですが、そういえばこのときの葉準老師も拳を強く握ってなくて指が浮いているんですよね。

小念頭では拳を握るように習っているので、その相違に疑問を覚え、質問したことがあります。「当たる瞬間に拳を握らなくていいのか」と。その回答は意外なものでした。

「うーん。努めて握る必要はあまりないかも。要は、『骨をきちんと整列させること』ですかね。そのようにしたら別に拳を握らなくても威力を伝えることはできますよ。というか、拳を強く握ることと詠春拳で威力を出すことはあまり関係ないかな」

当時はなんか身も蓋もない回答だな、と思いましたけど、詠春拳ではまず拳で顔面を叩くこともしませんし、拳を握る時間を短縮できるから、ある意味合理的なのかなと思いました。一度、香港の人と私が黐手を行っている写真が武術系の雑誌に掲載されたことがあるのですけれども、相手の胴体に当たっている私の右手は、四指が付け根のところで曲がっているものの、指が伸びていました。無意識にそういう風に突いていたのですね。

今ではインパクトのときに拳を意識的に握りこむようなことはしないです。むしろ、正しくはないかもしれないけれど、インパクトのときに拳を開くような「イメージ」を持ったりしますね。必ずしも実際に開いている訳ではなさそうですけど。

実は一度、ある方から紹介を受けて崆峒派の第10代掌派人だった、燕飛霞老師にお目にかかったことがあります。このときに私の直拳が老師の攔截によってはじかれ、そのまま突きを顔面に受けたことがあったんですが、そのときの拳のイメージが私の中ではそんな感じだったんです(拳が膨らんで伸びてくるようなイメージ?)。

燕飛霞老師の動きはすべて異次元で、たった1日の体験だったのにすごい強烈な印象として残っています。この日体験したことはいずれどこかでご紹介できれば。

以上、あくまで私が所属したスクールでの指導内容ですし、燕飛霞老師の動きや私の直拳のイメージも私が勝手に持っているものですので、参考程度にお考えいただければ、と思います。

養武法で教えていただいた現実的な理由

2010年だったと思いますが、フィットネス・セッションで行われていた養武法のセミナーを受けたとき、大関智洋先生からも同じことを教わりました。

養武法のベースは太気至誠拳法で、詠春拳と同様、両手を接触させてからの訓練があります。この武術でも詠春拳のように極めて短距離から相手をめがけて突く攻撃があるんですが、先生は拳を握らないどころか、拳の中にあえてスキマを作っている感じでした。

詠春拳でもそうだったので、なぜそうなのか、興味があって質問してみました(当時の記憶とメモなので、不正確な表現があるかもしれず、その点、ご了承ください)。

「両手を接触させている状態で拳を握っていたら間に合わないし、第一感づかれます。それに、拳をしっかり固めて顔面を打ったら、普通に拳を痛めますよ。至近距離からの突きで、しっかり骨が整列していれば怪我をせずに相手の顎を打ち抜けますよ」

というような回答でした。確かに、空手時代に固めた正拳で相手の頭部を強打したことがあって、このときに拳をひどく痛めました。その割には相手はノーダメージで(苦笑)。

実際、両手を接触させた状態からの先生の予備動作なしの打拳は異様に速くて全く避けられないまま顎に触れました。超ライトコンタクトだったから良かったものの、それだけでもすごい重さを感じたのであれで打ち抜かれたら終わりだったと思います。

まとめ

こういった過程を経て、今私が突きを練習するときは基本的に、指がほどけない程度の握りは行っても、拳を強く握りこむことはありません。四股立ちで正拳を練習するときや、剛柔流の型を練習するときは、指は深く折って指の腹を密着させるけど、やはり強く握りこむことはしません

実際、こういった感じで突いたほうが、アメリカのオーディションフィルムでブルース・リーが述べた「腕は鎖、拳は鉄球」のイメージを感じやすく、拳も勝手に重くなる感じなんですよね。なにより、拳を握りこむ手間が省け、攻撃のタイミングが速くなる感じもします。

まあ、私もこの年になってガチで誰かと組手をするようなこともないので、十分なだけかもしれませんので。トーナメントで勝ち抜くようなシチュエーションではまた変わってくる可能性はあります。ちなみに、極真会館が開催した第18回全日本選手権大会のダークホース、ミッシェル・ウェーデル選手の試合を間近で見たことがありましたが、拳の力と腕の力、すごく抜けていたのが印象的でした。彼が突きで一本を取るのを見て、「突きってこうあるべきなんだなあ」と思ったことを思い出しました。

(やばい。記事に集中して今日の小念頭、やってない…。昨日80分ほど続けてやったので、今日は20分くらいにするか…。)

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