マンネリ?

伏手

現在、武術の基礎的な練習は詠春拳の小念頭空手の基本的な蹴り技両者のコンビネーション練習などを中心に行っている。たまに子供達に練習に付き合ってもらうことはあっても、基本的に単独練習だ。すでに試合や腕比べをすることが目的ではなくなっているし、実際にスパーリングを頻繁にやっている人や黐手を恒常的にやっている人たちには勝ち目がないだろう。

併せて、サイクリングランニングコアトレーニングストレッチなどもほぼ毎日のように行っていて、基本的なフィットネスレベルを保つ努力も続けてはいる。ただし、若い頃に行っていたような筋力トレーニングは積極的には行っていない。それを指導するのが職業だった時代もあったのに、信じられない。

ただ、体の使い方そのものが若いころとは変わっているので、ちょっとやそっとの筋トレでその動作が大きく狂うようなことはない気もしている。なので、もうちょっと小念頭の感覚を定着させた後、改めて採り入れるかもしれない。

小念頭についてはこの8ヶ月ほど、1日も休みなく続けているが、それは武術の基本的な「」を練りたいと思っているからだ。これは、空手の蹴りやその他の技にも応用が利くようだ。

しかしこの数週間、小念頭の感覚がマンネリ化しているように感じられる。何年か前はやる度にいろんな発見があったり、変化があったりしたものだが、この1年ほどはその振れ幅が小さく、ハッとする機会がかなり少なくなってきた。

これは、何かが間違っているのか、プラトーなのか、それともポジティブに考えると安定しているのか、先生に見てもらえるわけではないのでその判別が難しい。ただ、ここのところかなり体の調子がいいことを鑑みれば、ポジティブに捉えていいんじゃないかと思う。

伏手

集中力が足りないのか、すべてが調子良くまとまることは少なく、左の攤手が調子がいい日とか、右の護手が極端にいい日とかに分かれる。この数週間は最初に書いたようにほぼ平均的だ。数日前に右の伏手が極度に重く感じられたことがあったが、それもその日だけだった。

伏手

伏手も日により変える。習ったときは手首と指先の力を抜いてだらんと垂らすのが基本だったが、今はだらんと垂らすより手の甲が地面と平行に保たれていることが多い。また、自然に中指から小指が内側に曲がることもあれば、意識的に葉問先生のように親指を人差し指や中指につけるようにすることがある。そのときそのときの調子に合わせるのだ。

攤手

そういえば攤手にも日によって差が発生する。手首をまっすぐに保つことが多いがたまに自然に手首が曲がって掌が真上を向くことがある。これも気の向くままだ。

また、突き出す高さは基本的に習ったままで、世間一般に見られる小念頭より高い位置まで動かすことが多い。上のイラストの通りだ。でもたまに、下げてみることもあったりする。この点に関しては意識的に起動を変える必要がある。

当初は伏手のほうが習得しやすい感じがしていたが、この長い期間を経てみると攤手のほうが感覚を習得しやすかった気がする。

いずれはこのあたりについてもまとめてみようと思っている。

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