小念頭にかける時間
二時間要馬(二字紺羊馬を二時間続ける練習の意)を達成してからも、毎日欠かさず小念頭を続けています。平日は昼休みに練習することが多いので、食事や小休憩を除いた時間で行うことになり、普段は最長でも40分ちょっとくらいになります。今日は食事をとってすぐに開始したことでちょうど50分をかけてワンクールが終わりましたが、このくらいの時間が限界のようでした。
小念頭もこれだけ長期間やっていると、必ずしも時間が長ければいい、というものでもなさそうで、少し速度を上げた方が筋肉の動きが分かっていいこともあります。実際、15-25分くらいの実行時間の方が集中力が続くので有効に感じる日もあります。
もちろん、速すぎる動きは筋肉の精密な動きを大雑把な動きに置き換えてしまう可能性が高いので、ときどき時間をかけて修正してあげることは重要でしょうね。
先日の「二時間要馬」のように站椿的な効果を狙って長時間立つことが目的の場合は注意が必要かもしれません。下半身の痛みや刺激が上半身の余計な緊張を招くことがあるためです。上半身の、攤手、伏手、護手を練る動きに集中する場合は分けて練習した方がいいかもしれないな、と感じることもあります。経験的には1時間ちょっとくらいなら分ける必要を感じませんが、前回の二時間要馬のときにはちょっとイライラが募りました(笑)。
集中の仕方
詠春拳を習い始めた頃、眠くなるのか集中したいのかわかりませんが、「目をつぶる」クセが付きかけたことがあります。スクールでの練習中にこれを先生に見られて
「小念頭の練習では目をつぶってはいけないよ」
と注意されたことがありました。理由を聞くと詳しくは覚えていないですが「そういうものなのだ」ということでした。
でも、今日(記事を書いているうちに昨日になってしまった)の50分の練習ではこのときのことを思い出し、あえて目をつぶって実行する時間を設けてみました。といっても、目をつぶっている時間は50分のうち、トータルで5分もなかったと思いますが。
目をつぶると、目を開けているときには分かりにくかったことを感じられることもあります。意味を理解し、たまに「目を閉じて」練習することは、私は悪いことではないと感じました。実際、黐手や黐脚の練習でも目をつぶって行うことは普通に行われますからね。
正立か後傾か
世界の詠春拳の資料をひもとくと、多くの人が後傾姿勢で小念頭を行っているようです。
こちらは、詠春拳を習い始めた初期に取ったメモ。「重心」という言葉を使った説明は物理的に誤っていますが、感覚としては上半身の力を抜いて膝から下で全体重を支えるような「イメージ」を説明したものといえます。
このメモでは左が「○」で、右が「×」となっています。香港葉問派詠春拳は葉問宗師から始まっていますから、やはりこれで正しいのだと思います。葉問宗氏はかなり後傾姿勢で小念頭や黐手などを演じておいででした。
この件については、正誤や事実関係は不明なものの、先生から以下のような話を伺いました。
- 葉問宗師の弟子は、より後期の弟子になるほど後傾姿勢が目立つようになる。
- 加齢と共に体力が衰えていく葉問宗師が、若い弟子たちの体力に対応できるように次第に上半身を後傾させていった。
- なので、後期の弟子ほど後傾した葉問宗師の姿に倣って、自分の姿勢を作っている。
後期の弟子ほど後傾、ということについては確かに、言えていることかもしれません。先生によると、ブルース・リーや同級生ながら先輩に当たるウィリアム・チュン(William Cheung/張卓慶)老師は葉問宗氏のかなり初期の弟子に当たるようで、彼らの小念頭の姿勢はかなり正立して見えます(ブルース・リーがブラックベルトに紹介した詠春拳の子午馬ではかなり後傾してますが…)。それに対してかなり後期の弟子であるリュン・ティン(Leung Tin/梁挺)老師などは確かに、極端なくらい後傾です。
ただ、年齢とともに葉問宗師が若者の体力に合わせるために後傾していった、というのは私には若干違和感があります。
こちらは葉問宗師のご長男である葉準老師の93歳のときの黐手です。79歳で亡くなった葉問宗師よりずっと上の年齢でありながら上半身を正立させて若い人との黐手をこなされているんですね。もちろん、若い人は葉準老師に遠慮している部分は相当あると思いますが、若い人が振り回されているシーンなどを見ると、詠春拳の「力」については葉準老師が若い人を上回っているように見えます。
最終的には葉問宗師には後傾が、葉準老師には正立が最適だった、ということではないでしょうか。
ここに書くと論議を呼ぶかもしれませんが、初期の弟子のセミナーに後期の弟子の門下生が乗り込んで、コテンパンにした「事件」がありました。他者のセミナーに乗り込んで恥をかかせるなんて、完全にルール違反で褒められたことではないですが、後期のお弟子さんの詠春拳の体系はある意味実戦的だったと言えるのかもしれません。
そのバックボーンとなっていたのではないかと思いますが、後期の弟子(=梁挺老師)やその門下の人は散打(中国式の組手)の試合やキックボクシングの試合などにも積極的に出ていたようです。ある格闘技雑誌で今田柔全先生が「(この門下の)詠春拳選手が実績のあるキックボクサーをKOするのを見た」とおっしゃっていたのを記憶しています。今田先生によれば「形はどんなものでも精通すればなんとかなるものかもしれない」というような感想を述べておられました(元ネタの雑誌が数百冊の中に紛れているため、発見することができたら、雑誌名や号数などを紹介したいと思います)。
結局はどんな詠春拳でも、どんな体系でも、結局は人なのかな、と思います。私は長く続けてきてどうも後傾がダメなようなので「正立」での練習になってきています。これだと空手の技にもつなげやすく自分にとって都合がいいからかもしれません。
私は私のやり方を「正しい」とか「有効」とか主張するつもりはありません。専門家から「このインチキ詠春拳が!」と怒られても仕方がないかな、と思うこともありますが、それも仕方がありません。私が直接先生から習ったのは小念頭とその他の型の最初のほうだけだったりしますから。私の中では「過去に教えていただいた詠春拳がこんな形で私専用に固まってきています」とは言えるかも。