二時間要馬 いけました

二字紺羊馬
目次

疲れでコンディションは今一つでしたが…

金曜日は昼間にマウンテンバイクで未舗装の山を走り回って、6時間の平均心拍数が推定最大心拍数の90%という高強度の運動を行ったため、夜の小念頭は25分位内に収めました。実際にはこの日、推定最大心拍数の110%とかの心拍にも達していたため、本当の90%とはいえないと思いますが(私の実測の最大心拍数は少なくとも182拍/分程度はあるようです)。

翌日、土曜日の夜は前日の疲労を残した状態ではあったんですが、二時間なんてそんなに大したことがないような気がして、チャレンジしてみることにしました。

肉体的な疲れより精神的なストレスを感じた

1回目の小念頭が1:10程度かかったので、そのまま姿勢を解かずに2回目に入りました。1:15くらいのところで左足が正座したあとのようにしびれていたので、それ以降は変な力が入らないように慎重に立ち方を修正しました。

結果的に2時間1分ほど連続して、二字紺羊馬の姿勢を続けることができました。そのあとも続けようと思えば続けられる感じではありましたが、あっさりと終了。

というのもその二時間、肉体的には大した疲れはなかったものの、時間を無駄にしているような焦燥感が時たまあったり、屋外で物音が聞こえてそれが気になったり、精神的なストレスをかなり感じてしまったからです。

そのストレスが影響しているのでしょうが、2回目の小念頭は1回目より早く終わってしまったので時間が余る結果に。このため、小念頭後も二字紺羊馬の姿勢を解かずに頑張り続け、両手を脇の下に置いて静かにしたり、直拳の練習をしたりして「二時間要馬」を何とか達成させたのでした。

終わったあとの反応

終わったあと、不安の元になっていた上記の音の源を確認するために一瞬屋外に出たのですが、歩き方がロボットのようでした。

詠春拳を習い始めた頃、小念頭のあとに常に感じていた膝の前面、内側に近い部分の痛みのようなものを久々に感じました。もちろん、当時と同様にすぐに消失しましたが。

あと、大腿部やお尻の奧の筋肉群に結構疲労が残っている感じがします。これは、本日の二時間要馬の影響だけではなく、昨日のマウンテンバイク修行がかなり残っていたのではないかと思いますね。

果たして「二時間要馬」、何十年ぶりにやったことでしょう。体の負担を考えると毎回やるものではないと思いますが、たまには若い頃の情熱を思い出すためにやるようにはしてみたいと思います。

今回は45分くらいが上限とはいえ、小念頭を1年以上も欠かさずやっていたことが二時間要馬達成のためには大きかったんじゃないかと思います。上半身に余計な力が入ったりすることもなく、小念頭は普通に行えていました。

姿勢で改めて気づいたこと

習い始めた当初は、骨盤を軽く後傾させ、上半身も合わせて後傾気味にして脊柱をまっすぐに保つ方法で二字紺羊馬を行っていました。バランスを取るため、必然的に首が前に出る姿勢です。でも、近年で練習の頻度を上げ始めてからはその姿勢は明らかに変わってきています。

私の場合は、骨盤が立っているというか、むしろ前傾気味で脊柱を地面に対してまっすぐに立てるようになってきています。私にとってはそのほうがお腹の力も抜けるし、自然な感じなのです。骨盤というか、イメージ的には「仙骨を入れて」「腰が決まる」という感じかもしれません。

多分、伝統的な詠春拳の修行者から見れば「誤った姿勢」で、「楽なほうに逃げた」と批判される可能性もあるでしょうが、私は自分が自然と感じる感覚を採用したいと思っているので、骨盤を後傾気味にする方法に戻るつもりは今はないです。

そもそも私がやっているのは詠春拳なのか

そもそもの話になりますが、私が未だ練習を続けている「それ」は詠春拳なのでしょうか? 20代前半に習った詠春拳のカリキュラムをピックアップして、継続的に行っているのは事実ですが、あれから30年以上が経過するなか、矯正していただける機会もさほどないまま、自分の感覚や変化を頼りに続けてきただけです。

結局私は、昔習った詠春拳や空手のカリキュラムをベースに、自分にいいと思ったものは残し、練習しているわけで、自分自身で「詠春拳を練習している」「剛柔流空手を練習している」「スポーツ空手を練習している」という意識がほとんどないことに気づきました。なんか「自分のための健康体操」「一種の瞑想」みたいな位置付けといえます。

先日も書いたとおり、確かに詠春拳のカリキュラムは特に、私にとっていろいろな効果をもたらしたと思っています。でも、だからと言って私が「詠春拳を練習している」というのはおこがましいかもしれません。私の現在のカリキュラムは、仮想敵を置いた練習は詠春拳とスポーツ組手を当てる方向で応用した技の練習が半々ですし、蹴りなんかは90%、空手時代に習った技法の練習に費やしています。詠春拳の指導者や修行者はこういう行動を嫌う人が多いですし、変な主張をして大恩ある「詠春拳」に関して波風を立てたくないというのが正直なところです。

20代〜30代は他の武術に負けたくないとか、他人に負けたくないとか、何かあったら自分の身を守らなくてはならないとか、そういう気持ちが非常に強かったことは確かで、その基礎に詠春拳があることについては誇りを持っていたと思います。また、フィットネス系とは言え、武術/格技を教えていたこともあるので、たまにやってくる勘違いした人に動じない自信を持つ必要にも迫られていたことも、そういう意識を下支えしていたと思います。

しかし、今は詠春拳の小念頭や剛柔流の撃砕など、それを体験すること自体が楽しくて仕方がなく、新しい発見があるとそれを深く追求したくなるというような、自己発見、自己成長を楽しむことが主となっているのです。誰かとやったりして勝とうとか、腕比べしたいとか、思うことは全くありません。そういうときに使うのは、「逃げ足」です。

このブログは、結局はオタクの自己満ともいえます。その自己満は自信の元でもあるので、決して自虐しているわけではありませんが。

みなさまのお役に立てるかどうかはわかりませんが、参考程度にご覧くださいね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次