まずは脱力

まずは脱力

剛柔流空手道との違い

中国武術のひとつである詠春拳を学び始めてから終始、しつこい位に指示されていたのは「まずは完全に脱力すること」でした。

写真などで事前に知っていた詠春拳の姿は、高校時代に修行していた剛柔流空手道と見た目が似た感じがあったため、その経験が役立つこともあるのではないかと期待していました。

例えば、手持ちの資料にある「少林拳入門―中国拳法」の詠春拳について触れた部分には、

型は小捻頭(剛柔流空手 “転掌” の型と類似、ただし呼吸は柔らかい)・尋橋・標指の三種で

少林拳入門―中国拳法」笠尾恭二著 日東書院刊

とあります。

中国拳法-少林拳入門
少林拳入門の、詠春拳に触れた部分

(引用写真右上が、香港宗師と称される葉問。ドニー・イェンさん主演の映画「イップマン」のモデルになった人物です。彼の弟子にブルース・リーがいたことで、詠春拳という武術とともに、世界中に知られるようになりました。)

確かに、小念頭の写真を見ると、そう見えなくもありません。

まあ、剛柔流空手と似た感じ

ところが、実際に習い始めた詠春拳は、それまでに経験した剛柔流空手道とは全く違う姿勢と動作が要求される武術でした。見た目は剛柔流の「騎馬立ち(きばだち)」にそっくりな、詠春拳の修行用の立ち方である「二字紺羊馬(イージーキムヨンマ)」からしてそうです。

空手の騎馬立ちでは両脚を踏ん張るようにして、つま先を内側に絞るのに対して膝を外側にひねるようにして張り、両足の指で地面をつかむようにしてしっかり立たされました。当然、大臀筋も常に緊張していて「力を込めて立つ」感じです。

それに対して詠春拳の二字紺羊馬については、形は似ているものの、力を抜いて立つ、という形容がぴったりでした。力を抜いた上半身を自然に両脚に乗せる感じです。最初はどうしても騎馬立ちのようになって、慣れなかったですね。

二字紺羊馬

これは、実技を習い始めた初日のメモです。書き込まれている内容は初日に私が聞いたことと、当時の拙い私の感想なので、参考までに。

脱力に関する疑問

詠春拳に入門して、とにかくしつこい位に言われ続けたのが、「完全に力を抜け!」ということ。

当時の私は、フィットネス・インストラクター業に従事していて、この言葉にはすごく違和感を持ちました。「完全に力を抜いたら、くにゃっと潰れて、受け身も取れずそのまま膝のじん帯を損傷して頭を打って…」となるんじゃないかと。変な言葉で煙に巻かれたものだなあ、とも。

ただ、言わんとしていることは、その数年前に勉強した「ディファレンシャル・リラクセーション」のことであろうと推測しました。過去に、自分のブログ内で「アスリートのためのコアトレ―100のエクササイズ12の処方箋」で触れていますが、ディファレンシャル・リラクセーションとは、何かをするために最低限必要な筋群のみを必要とされる最低水準の張力で緊張させ、それ以外は極力弛緩、リラックスさせることを示す言葉です。

これで分かったつもりになって練習しているわけですが、それでも先生や先輩からは相変わらず「力が入っている」「もっと力を抜きなさい」と言われてしまうのです。挙げ句は、仕事上知り合った香港人の他武術の方にも「どうにも肩の力が入りすぎだなあ」と言われる始末。

自分では、必要以上の力を完全に抜いているつもりなのに、客観的に見るとそうではないようでした。

実は、彼らのいう脱力というのは、実現するのにかなり時間がかかるものだったのです。辛抱強く、「できる限り力を抜くこと」を意識して練習していると、突然体の感覚が変わる、ということを不定期に、何回も経験しました。その瞬間瞬間に「そうだったのか!」とは思いますが、必ずしもそれは完璧ではないようなのです。その次の段階でまた、「そうだったのか!」と思うことになるからです。

2020年、今現在の自分が感じているこの脱力感についても、1年後にはまた別の発見をして「そうだったのか!」と思っているかもしれません。武術の修行で追い求めるものには、際限がないんじゃないかな、と感じられて仕方がありません。だからこそ、面白く、一見退屈な練習を続けられるのでしょう。

脱力の目的

いわゆる「完全に脱力」することを心がけて練習に臨んでいると、少しずつ、ときには突然に体の感覚が変わります。次第に先生が言っていること、脱力の意味するところが分かってきました。

先生によれば、脱力は、体を合理的に使えるようにするための最低限の基礎である、ということでした。これは、スポーツ上達の世界でも普通に言われることではあります。

一件、当たり前すぎることのようですが、要するに

「極度に脱力することでしか、姿勢の保持や動作を行うのに最低限必要となる筋肉群の存在が見えてこない」

ということです。

これをうまくできなければ、「より器用で操作しやすい筋群」が、「本来必要な筋肉群」の存在や働きを覆い隠してしまうのです。その結果、武術の動作に用いるべき筋群の役割が、他の筋肉にとって変わられて、正しい筋肉の使い方を習得することができません。

実はいったん分かったつもり、出来たつもりになっていても、実はまだ無駄な力が入っていたりするのでしょう。先生や先輩方にいちいち指摘されていたのは、私自身が気づいていなかった不要な緊張です。さらに時間を経てその部分も脱力ができるようになり、さらに訓練していくとより操作が難しい部分の力も抜けていくはず。これこそ私が感じた、段階的に感覚が変わる、という体験の正体だと思います。

存在を明らかにした筋群を使うこと

さて、その存在が明確になった筋群に対して、今度はその機能をより高い段階まで開発して、より合理的で大きな力を発揮できるようにしていかなければなりません。この大きな力のことを中国武術では「勁(けい)」と呼びますが、私の先生は単に「力(ちから)」と呼んでいました。例えば、「あの先生が力を出せるか、出せないかを見抜くためには、肩の動きを見ればいい」というように。

実際に先生方の力を体験してみると、単に「脱力」では言い表すことのできない強大な力が現実に存在していることが分かります。

例えば、Mindful Wing Chunさんが公開しているこの動画では、徐尚田師父の強大な力が端的に見て取れます。

日本の武道で、達人が相手の力を利用して高度に「化かして」「攻撃に転化する」というデモ映像はよく見られるものです。しかし、この動画で見られる「力」は決してそれだけのものではなく、強烈な圧力を感じるものでもあります。単に重心を奪われて崩されるだけではなく、異常なほどの力で強く押し込まれる感覚も存在するのです。単なる脱力では不可能なパフォーマンスであることは間違いありません。

この動画の徐尚田師父だけでなく、私の先生や先輩にも同様のものを感じました。

正直に言えば、今の私ではこのレベルの力について語るのは難しく荷が重い話です。現段階で理解していることについては、また項を改めて述べてみることにします。

徐尚田師父については、一度はお目にかかりたい雲の上の存在でした。2014年に師父は亡くなられ、それは叶わなくなりました。もう少し早く私が行動に移していれば、という後悔があります。