高校2年生のとき、我が空手道部は3年生が2人のみとなり、大会の団体戦では2年生3人を含めた学年混成チームにせざるを得ませんでした。帯の色を揃えたいという師範の意向もあって、私たちは早めに黒帯を認可してもらうことができたのでした。
ん〜。今見たらホント、ガリガリくんでしたね。でも、この頃の体型に戻りたい(^^;)。
少し前に黒帯をもらったばかりの3年生からしたら、私たちがそう変わらないタイミングで黒帯を取得したのは面白くなかったのでしょう。2年生の夏の大会が終わったタイミングで一人の先輩が「それは本物ではないんだから、師範に返上を申請しろ」と繰り返し言ってきました。放置しておくと面倒なので、2年生一同で師範に「帯をお返しします」といったら、「来年も大会が続くんだから、持っておけ」と言われ、3年生も渋々承知せざるを得なかったことを思い出します。
早くの黒帯の取得。少なくとも私はこれで調子に乗っていたかもしれません。
私たちが普段稽古するのは、もちろん伝統的な技のカリキュラムもありましたけど、基本的には大会に勝つための技です。ただ、部活動を見てくださっていた師範は、「せっかく剛柔流空手道を習っているのに、大会用の練習だけではつまらんだろう」ということで、時々上部組織の道場に連れて行ってくださいました。
その道場では伝統的な沖縄空手の技を徹底的に磨かれている印象でした。あるとき、上部組織の館長から「うちの道場生と組手をしてみなさい」と言われ、庭に設置された板間の練習場で当時大学生か社会人か分かりませんが、白帯の人と組手をすることになりました。
そこで相手となる道場生の方が取ったのは、猫足立ちの構え。
大会での組手しか経験がない私にとっては違和感だらけの立ち方。しかし、構えが小さくて急所がしまわれ、正中線も覆い隠されている印象がありました。
それに対して私はピョンピョン跳ねる、大会用の組手スタイル。「相手はまだ白帯だ。圧倒してやる」という気持ちで臨んでいました。はやる気持ちを抑えられずに私は開始後まもなくフェイントに続けて高速なワンツーを繰り出したのですが…。返ってきたのは彼の前足による私の股間を狙った蹴りでした。それがカウンターとなる形で私に突き刺さる。
瞬時に股間に激痛が走り、試合にストップがかかります。道場生の方は反射的に体が動いただけなのでしょう。本当に申し訳なさそうに、心配そうに頭を下げています。
ただ、当たったのは実は体の前面に出ている「恥骨」でした。なので、「金的蹴り」のダメージではありませんでしたが、これがまた違った痛みでして(^^;)。よく、試合で女性がそけい部を蹴られて悶絶するシーンを見かけますが、恥骨であってもまともに当たると激痛なのです。
前から突き刺す形の蹴りだったのでこういうことになりましたが、この日はファウルカップもしてなかったし、これが下から蹴り上げるタイプの蹴りだったらと思うとゾッとします。ただ、蹴り上げだと相手にとってもリスクがあり、仮に命中したとしても私の前進を止めることは難しく痛み分けになった可能性があります。
恥骨へのダメージということで何分もおかずに回復できたので、そのあとの組手では少し熱くなっている私が相手を追い回す展開になりました。相手も引け目を感じたのか、もう股間を蹴ってくることはありませんでしたが、私も金的蹴りを無意識に警戒しすぎたのでしょう。全ての技が中途半端になり、相手に攻撃を届けることができないまま組手終了。
そのときは悔しさがあったけど、この経験は貴重だったと思います。以後、金的蹴りに対しては凄く警戒するようになりました。その後大学に進んで他の格闘技の人と交流スパーリングをするときには私は当初、この猫足立ちを多用していたくらいです。ただし、金的蹴りで迎撃することはなかったし、股間を狙ったとしても寸止めしてましたよ。
これだけ注意していても、金的を効かされたことはその後一度だけあります。大学に入ってからのことだったと思いますが、夏休みか何かで帰省したときに体重が私より20kg重い弟とスパーリングしたことがありました。スピードでは圧倒できたと思うんですけど、ふとしたタイミングで弟の右ローキックがサウスポーに構えた私の奥足に入ったことがありました。私もちょっと足の鍛え方が足りなかったんでしょうね。金的に直接当たったわけではないのに奥足から響いた衝撃が瞬時に金的に伝わり、その後全身を貫くような苦しい激痛が襲いました。
それを悟られるのが嫌で、その後もダメージがないフリをしてスパーリングを続けましたが、ふっと意識が遠のくような感じが続いて途中で脂汗まみれになりながら失神するんじゃないかと心配になっていた記憶がありますね(^^;)。狙った金的蹴りでなくても、直接当たらなくてもこんなことがあるんだと身をもって知りました。
今だから言えますけど、彼は体が大きいからか町中でよく他校や先輩に絡まれていたそうで、いつもローキック1発で喧嘩を終わらせていたそうです。なにせ彼は、その1〜2年後には陸上の広島県大会か地区大会か忘れましたけど、優勝するようなフィジカルエリートの一人でしたから。この時はもう、体重も100kgあったのかな?