ブルース・リーの言葉を見失う
最近、私が詠春拳を知るきっかけとなったブルース・リーに関する資料も頻繁に目を通すようになってきています。
特によく手に取るのが、このブログで何度も登場している「ストレートリード」。ブルース・リーが1970年頃に残した大量のメモを紐解き、彼の武術=振藩截拳道のストレートリードの技術が古流のボクシング、フェンシングに基づくものであるという前提を導き出して突き詰めた成果をまとめた書籍です。
リー先生のプライベートスチューデントの1人、テッド・ウォン師父に師事したテリー・トム先生の著作で、ストレートリード(Straight Lead)という技術に対する執念が感じられる力作だと思います。空手に置き換えれば、「正拳」の技術ひとつに絞って一冊書くようなものですからね。
詠春拳の直拳とはある意味対極とも言える、(ちょっと語弊があるかもしれませんが)究極の長距離砲といえるストレートリード。私も高校時代に空手競技で長距離砲の順突きを研究していた関係で、すごく興味があるし、参考にもなります。
ここまで「截拳道」に「截拳道としての詳細な技術体系」があったことに驚いたと同時に、この書籍がブルース・リー先生とテッド・ウォン師父の截拳道以外を認めない、というか、別の指導者に対して極めて批判的な立場を取っていることが非常に気になったのも事実です。もちろん、その逆の主張をする団体もありますし、今でも直弟子やそのまた弟子同士での争いごとの原因になっていたりするのは残念なことだと思っています。
また、彼らの主張を聞いていると、この私も「もともとリー先生はなんとおっしゃっていたんだっけ?」と混乱し始める始末で…。ということで、この機会にリー先生自身がおっしゃっていたことを振り返ってみたいと思います。純粋に先生の言葉を吟味することが目的であり、私はどの組織の主張にも味方する気はないこともあって、巷で使われる「オリジナル派」「コンセプト派」という言葉はここでは使いませんし、そういう分け方もしないようにしました。その言葉自体、使い方が適切ではないような気がしますし。
私が一番分かりやすいと思った、ブラックベルト(BLACK BELT)誌 1971年9月号を転載した下記の資料をひもといてみます。ここでは、詳細は下記の資料を参照してください。
ハードカバーがオリジナルの英語版、ブルース・リーの顔写真入りのほうが日本語訳です。
このブログで私はよく「始祖」という言葉を使ってきましたが、記事全文を読む限り、おそらくブルース・リー本人はそれを嫌うのではないかと思えてきました。なので、以下はブルース・リーとか、先生という言葉を使うようにしたいと思います。
本人の言葉を紐解く
まず、そのタイトル。
LIBERATE YOURSELF FROM CLASSICAL KARATE
Bruce Lee 1940-1973 P6 Reprinted from the September 1971 issue of Black Belt Magazine By Bruce Lee
「古典的な空手から自分を解放せよ」
ブルース・リー・メモリアル リンダ・リー他著 柴田京子訳 P11
まず、ここからして私には疑問が湧き上がりました。ここでは(古典的な)空手がやり玉に挙がっていますが、では、「ストレートリード」で主張されている、古典的なボクシングやクラシックなフェンシングはいいの? って。ここでいう「空手」とは格式ばった形式のメタ情報ではないのか、と私には思えるのです。
あとは日本語版のほうを見ていきます。
また、私は諸君の賛同を得ようとしているのでもなければ、影響を与えて自分の考え方に傾けさせようとしているのでもない。(中略)諸君が何でも自分で研究するようになり、「これはこうだ」「あれはああだ」と規定するお定まりのやり方を無批判に受け入れることをやめるようになってくれれば、これにまさる満足はない。
ブルース・リー・メモリアル リンダ・リー他著 柴田京子訳 P12
私も彼が残した資料や主張については、この意識を持って臨んでいるつもりでした。でも、先述したように私の中に混乱があるということは、少しずれた見方をしている側面もあるのかもしれません。注意深く読んでいくことにします。
引用が前後しますが、まず彼のいう截拳道というものが何なのかを、「言葉で表現することが難しい」としながらも端的に表現してくれています。
(前略)字義通りにいえば、”截”とは遮る、あるいはとどめること、”拳”はこぶし、”道”とはみち、究極のリアリティである。ここから截拳道は拳を遮る方法ということになる。しかし、”截拳道”とは単に便利な名称にすぎないということを銘記してほしい。(中略) 截拳道は、目的を果たすために(結局のところ、効果的であることこそたいせつなのだ)あるゆる手段や方法を用いるが、何にも束縛されていないので、それゆえ自由である。
ブルース・リー・メモリアル リンダ・リー他著 柴田京子訳 P20
さらに、こうも言っています。
截拳道を教える上で型というものはなく、その必要もない。(中略)理解の核は個々の精神にあり、そこに触れなければ何ごとも不明確で表面的なのだ。(中略)武道における知識は、つまるところ自己を知ることなのだ。
ブルース・リー・メモリアル リンダ・リー他著 柴田京子訳 P21-P22
ゆえに、截拳道を特定のスタイル—-グンフーとか空手、喧嘩術、あるいはブルース・リーの武術など—として定義づけようとすれば、すっかり意味を見失うことになる。その教えは、一つの体系に閉じ込めることができないのだ。
ブルース・リー・メモリアル リンダ・リー他著 柴田京子訳 P20
改めて読んでみて、いろいろ思い出しました。私はブルース・リーをずっと尊敬し続けているのに、詠春拳を習った後、截拳道を習ってみよう、と思わなかった理由を。彼の言葉を聞くと、体系的に習いようがないからなのです。ただ、その考え方については、武術に関して一定の理解を得た人の見識として、非常に勉強になる考え方だという理解はしていました。
最後に、リー先生の洞察が、自身の死後のことを予言しているかのような分析をしていることに改めて驚きました。
遠い昔、ひとりの武道家が真理の一片を発見したということはあり得る。その人間は生きているあいだ、人生に安定を求めるのがひとの常であるにもかかわらず、いまだ不完全なこの真理を体系化したい誘惑に抗った。武道家の死後、弟子たちは”彼の”推論、”彼の”仮説、”彼の”嗜好、”彼の”方法を自分たちのものとして法則化した。強い印象を与える教義が考え出され、結束を固めるような厳粛な儀式が規定され、かっちりとした哲学やパターンが形成され、等々ということがあって、やがてひとつの団体が設立された。
ブルース・リー・メモリアル リンダ・リー他著 柴田京子訳 P14
ブルース・リーの生前の行動と死後の情勢をみると、この考察はちょっと怖いくらいこの流れで進んできたように思えてきます。もちろん、そのように成立した流派はブルース・リー存命時点でも多数存在していたはずであり、この記事はそれを分析したものなのでしょう。それが皮肉なことに、自身の截拳道もそれらの流派と同様に、同じ道を進んでしまったわけです。
この彼の記述には続きがあります。
しかし歪みは、ここで終止符を打つとは限らなかった。”他人の真理”に対する反応として、他の武道家、あるいはもしかしたら不満を持った弟子が(中略)対立するアプローチを組織化したのだ。間もなくこうした対立する党派が、固有の法則と様式をもったやはり一大組織に発展した。それぞれのスタイルがわれこそは”真理”の保有者であると主張、他をいっさい排除する競争が始まった。
ブルース・リー・メモリアル リンダ・リー他著 柴田京子訳 P14-P15
沖縄の空手がいくつのも流派に分かれたように、私にはこれが截拳道にも起こっているように見えるのです。
私は新しいスタイルを考案してもいないし、合成も修正もしていない。それを、ここでもう一度理解してもらいたい。わたしは截拳道を、”あの”スタイルだの”この”方法だのと区別するような法則に支配される独特のフォームに閉じ込めることは、いっさいしていない。その逆に、同志諸君には、スタイル、パターン、原則の束縛から自由になってもらいたいのだ。
ブルース・リー・メモリアル リンダ・リー他著 柴田京子訳 P18
ブルース・リー先生自身はこのようにおっしゃっています。
私は、個人的にはブルース・リーが道場でそれぞれの弟子に教えていた技術体系を保存し、遺産として残すことはとても重要な活動だと思っています。ただし、本人の主張によればそれらの技術体系はあくまでブルース・リーがそれぞれの生徒に対して適合していると考えた指導内容でしょうし、それは時期によっても差があるでしょう。そうだとすると、それぞれの弟子の皆さんの技能に差が出るのは当然のことです。もちろん、ブルース・リーとお弟子さんの間にも差はあるはず…というより、そうでなければ名付け親本人が述べる「截拳道」と矛盾してしまうことになります。
そして何より重要なのは、先にブルース・リーの言葉を引用したとおり「武道における知識は、つまるところ自己を知ることなのだ。」ということにつきると思います。お弟子さんにとっては自身を知った結果の、截拳道があった、あるいは今もあるわけですね。
残念なことに、いくつかの団体は「我こそは真理」と主張をするようになり、ブルース・リーが述べていた「組織」発生の機序はそのまま繰り返されてしまいました。彼は截拳道の現状を知ったらきっと怒り出すだろうな…と私は思います。
この記事を作るにあたり、引用した部分はわずかです。本当のブルース・リーの考え方を知りたければ、元資料を読んでいただきたいと思います。ブルース・リーの本当に言いたかったことが良く伝わってくる内容です。