ゆっくり動く

とにかくゆっくりとした動作で練る

ゆっくり動く練習

中国武術で、とにかく「ゆっくりと動く」練習をするというイメージがある太極拳。幼い頃、初めてこの武術を知ったときには、中国の健康体操の一種としか捉えていませんでした。もちろん、何のためにあんなにゆっくり動くのかも、良く分かっていなかったのですが。

詠春拳を習い始めたころの私は、すでにフィットネス・インストラクターとして働き始めていたこともあって、ゆっくり動くトレーニングを採用しているのは太極拳だけではないことも知っていました。1970年代後半〜1980年代のスポーツ科学の資料にはすでに、ロシアのスポーツ界でもそういう練習が採用されていることが記されていたと記憶しています。

併せて、詠春拳にもゆっくり動く練習法があることは、「武術」雑誌の記事などから理解していました。おそらく、剛柔流空手道の「転掌」の型と同程度の速度だろうというのが、そのときに私が持っていたイメージです。「まずは脱力」でも紹介させていただいた「少林拳入門―中国拳法」で、小念頭(小捻頭)が転掌に似ている、と書いてあったことからそう思い込んでいたのでしょう。1980年代後半は今のようにYouTubeで動作を確認する、なんてこともできない時代です。

ただ、台湾からお越しになった先生が「武術」に書かれた詠春拳に関する記事に「ひとつの動作に5分かける」という説明があったのには多少の引っかかりを感じてはいました。これについては、たぶん「5秒」の誤植であろうと勝手に解釈して、自分の理解をごまかしていた部分があると思います。

その後、実際に詠春拳を習い始めて驚くことになります。なんと、小念頭の型で行う一定のパートのひとつの動きは、本当に5分程度だったんです。先生に言わせれば、「外から動いて見えるような動きは速すぎる」とのことでした。一般的に知られる太極拳の動きなどは、詠春拳から見たらむしろ動作が速い方だということです。

現在YouTubeなどで見られる小念頭はあくまで一般の方に紹介するための表演用で、「少林拳入門―中国拳法」の笠尾先生が見られたのはこの表演バージョンだったものと思われます。フルにやったら80分以上かかる型を、一般の方にお見せするわけにもいかないですしね。

じっと一定の姿勢で止まった形で練る方法は他の門派にも「站椿(たんとう、たんちゅん、つぁんつぉん)」という名前で一般的に行われています。詠春拳の「小念頭」の場合は、基本の型がこれを兼ねていて、常に目に見えないレベルの動きがあるわけです。

站椿は役に立つのか

膝を軽く折って(門派によってはかなり深い)姿勢を維持する站椿。正直、これがなんの役に立つのか、私にはよく分かりませんでした。足腰を鍛える、といいますが、だったら、バーベルを担いでスクワットをしたほうがいいんじゃないかと。

どの雑誌だったかは忘れましたが、初代タイガーマスクとして活躍された佐山聡先生が、読者へのQ&Aで「站椿には全く意味がない。スクワットをやったほうがいい」と述べられたことがありました。私もそうだろうと思っていました。

でも、「まずは脱力」で述べた通り、不必要な力をできる限り抜いて、中国武術に必要な筋肉を「洗い出す」ためには、この站椿のような長く姿勢を保つ訓練は必要不可欠といってもいいのではないかと現在の私は思っています。

一般的にはこの鍛錬法が「足腰を鍛える」方法として紹介されますが、この観点では確かに、佐山先生や私の感じたことは間違いではありません。でも、力を抜くことを覚えるためには、まずは動きを抑えて、最低限の筋肉群とその張力で姿勢を保つことから始めるのが最適です。今まで見えなかった筋群の働きを高度に知覚するための入口としては、これ以外の方法を私は思いつきません。

ゆっくり動く練習の必要性

しかしながら、武術というものは「動く」ものです。止まっているだけでは闘うことかできません。

それでも、「まずは脱力」で述べたような、不必要な力をできる限り抜くことは、姿勢保持だけではなく、動きの中でも重要なことです。

速い動きだけを練習していると、動きを行う上でより簡単に使える筋群を動員するクセがついてしまいます。もともと使わなければならない筋群とは、普通に使うのが難しい筋群でもあるからです。間単に使える筋群の働きは、本来使わなければならない筋群の働きを覆い隠してしまうことにつながります。そして、武術的には「下手な」筋肉の使い方を使うクセを強化することになりかねません。

こういった狂いが「プラトー」や「スランプ」を生むきっかけになってしまうと考えられます。中国武術ではベテランの方々も、常にゆっくりした動きの練習を欠かすことがないのは、高速な動作の練習で狂いかけた筋肉の使い方を常々修正するためだと思います。こういったことで大きな「スランプ」に陥らないように工夫しているのでしょう。武術の場合は、一流アスリートが行うスポーツ競技のように最高のピークを作ることが目的ではなく、起こるか起こらないか分からない事象に常に備えるのが目的ですから。どちらが優れているというのではなく、目的が違うということですね。

まだ必要な筋群の働きを開発し切れていない、経験の浅い人にとっては、ゆっくりとした動きの練習の必要性がより高くなるでしょう。一刻も早く正しい筋群の使い方を習得するために、門派で指定されるレベルの速度での練習をきっちり守ることです(若い頃の私は、せっかちすぎて、これが出来ずに失敗しました)。

少し練習が進むと、1つの動作で5分かける必要があったところを、8つの動作で5分くらいに抑えても効果を上げられるようになります。私の場合はまだ、それでは感覚が飛んだりするので、日常的には8動作10分〜15分で練習します。左右で20〜30分ですね。

それでも、より精緻な動きを見直す目的で、不定期に1動作5分に戻すこともあります。

よく飽きずに続けられるなあ…と自分で感心しますが、小念頭の型を行うと毎回のように何らかの発見があり、それが面白いのです。