死亡遊戯

出逢い

絵、イラスト、マンガ、そしてアニメを愛する中学生だった私は、友人、弟とともに1978年のヒット映画、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」というアニメ作品を見に行くことになりました。時は1979年、私が中学校2年生、13歳のときのことです。

すでに単独ロードショー期間が終わっていたためだとは思うのですが、当時住んでいた鹿児島市の映画館では「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が別の映画とのカップリング上映となっていました。その組み合わされた映画というのが、なんとブルース・リーの「死亡遊戯」。全く毛色の異なる映画をよく組み合わせたものだなあ…と感心します。

ブルース・リーについては、その時点ですでにTVで「ドラゴンへの道」を見た経験はありましたけど、この時点ではどちらかというと「G MEN’75」の倉田保昭先生のほうが好きだったと思います。

1974年、父の転勤の関係で生まれ故郷の種子島から鹿児島市内に出てきたとき、天文館のアーケード街の入口にある映画館に、眉毛の濃い、ボサボサ髪の男の写真がところ狭しと貼られていたのを覚えています。なんかモンペみたいなのを履いているし、「変人」のような印象しかなかったんですよね(笑)。後で振り返ってみれば、この時期には彼の代表作である「燃えよドラゴン」のロードショーがロングランで行われていたのでした。

さて、私たちが「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」を見るために映画館に入場したときには、すでに死亡遊戯が上映の途中でした。その後しばらくは「はやくヤマトにならないかな〜」なんて友人と話していたのに、いつの間にか私たちの態度に変化が現れはじめたのです。

スクリーンで大暴れするブルース・リーの大迫力に3人とも興奮し始め、次のアクションシーンを今か今かと待つようになりました。実は中盤までのアクションシーンのほとんどが代役によるものだったのですが、当時の私たちにはその時点ではそれが全く分かっていませんでした。

そして、クライマックスシーン。そのブルース・リーが突然スケールアップします。そう、ホンモノに切り替わったわけです。もうすごいなんてものではなく、彼が全身から発するカリスマにも魅了されてしまいました。前半部分のアクションをはるかに上回る技の切れと迫力。はじけるような、華麗な動き。まさにこの瞬間、私の人生が大きく変わることになるとは。

その後、死亡遊戯の上映が終わり、次のさらば宇宙戦艦ヤマトが始まるわけですが、私たちの興奮は収まりません。あれほど楽しみにしていたさらば宇宙戦艦ヤマトなのに、弟なんかは「早く終わってくれないかな?」なんて言い出す始末です。当時の映画館は入れ替え制ではなく、席に残って何度も見ることができましたから。

私も、さらば宇宙戦艦ヤマトの登場人物、真田の表情に感動した覚えなどはあるんですが、あとは死亡遊戯の印象しかありません。2回目の死亡遊戯は最初からくまなく見て、「やっぱりブルース・リーはすごい!」ということになりました。すぐに「スクリーンジャンボ」という販売中のブルース・リーの写真集を買ったのを覚えています。これが、私が初めて私が買ったブルース・リー関連商品ですが、これが今では何百冊、何百点あるか分からないコレクションの原点となってしまったわけですね。

下記の写真は、スクリーンジャンボと同じ出版社より出ていた、より豪華な写真集である「闘魂ブルース・リー (デラックスカラーシネアルバム (2))」ですね。

デラックスカラーシネアルバム「闘魂ブルース・リー」
たぶん、スクリーンジャンボの次に買った、シネアルバム・デラックス(大学時代に再購入した増補改訂版)
デラックスカラーシネアルバムの裏表紙
シネアルバムの裏表紙。これが「死亡遊戯」のブルース・リー

それに、自分でも意外なことではありましたけど、なぜか私は「彼のようになりたい」と思い始めました。体育の成績が5段階評価の2、50メートル走ではクラスの女子にも勝てないような13歳の少年が、です。

私はブルース・リー体験後まもなく、近所の陸上部の友人からウエイト・トレーニングセットを借りてきて筋トレを開始しました。と同時に、彼のようになるためには空手をやらなければ、と思うようになりました。ところが近所には空手道場は1件もありません。そんな私が考えたのは…。