現在に至るまでのお話– category –
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現在に至るまでのお話
アメリカ
2週間という短期間の出来事だったのですが、今の私に最大級の影響を与えた経験でしたので、ここで振り返ってみます。 1989年、私が渋谷のスポーツクラブでフィットネス・インストラクターをしていたときのことです。大変幸運なことに、その秋、所属会社よ... -
現在に至るまでのお話
詠春拳との出逢い
その体験時の衝撃 ここに行き着くまで、ずいぶんと長い時間がかかりました。1987年、私はついに「詠春拳」に行き着きました。いうまでもなく、かのブルース・リーがそのキャリアで最初に習ったという武術です。 このときに学習した技術は今でも練習を継続... -
現在に至るまでのお話
極真空手の存在感
運動指導者としてのキャリアのスタート 1986年の夏、直接的にフィットネスに関わる仕事を体験したくなり、前にいたスポーツクラブから同じ新宿にある別のスポーツクラブに移籍しました。移籍先となったのは、もっと大衆寄りのクラブで、全国チェーンを展開... -
現在に至るまでのお話
ジャッキー・チェン
スポーツクラブでの練習 三島での生活は大変楽しかったものの、東京に来てから私の生活は激変します。規則正しく生きる生活から自由すぎる生活に。 アルバイトでスポーツクラブのフロント業務に就いたこともあるでしょう。毎日帰るのは夜中だし、時給も安... -
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三島
生まれて初めて実家を離れ、静岡県三島市にある日本大学三島へ所属することになりました。1984年4月、18歳のときのことです。 生まれて初めて実家を離れ、静岡県三島市にある日本大学三島へ所属することになりました。1984年4月、18歳のときのことです。 ... -
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空手道部引退から大学合格まで
高校時代の部活動は1日に長時間の練習をしていたので、引退後はその分の時間を作ることができました。通常は受験勉強に費やすのですけど、私自身は部活ではできなかったことを試してみたかったこともあり、よく受験対策授業をサボっては、武道館の階段下に... -
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防具組手
3年生になってからだったと思いますが、町道場で練習していたある日、空手競技用の防具を師範が借りてきたことがありました。 全日本空手道連盟系の試合だと、今では寸止めのポイントルールしか知られていませんが、私の高校時代には「防具組手」がありま... -
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全国大会(3年生)
高校の最上級生となる3年生となりました。我が空手道部は慢性的な人員不足に悩まされる存在のようで、このときも4年生3名、2年生1名と団体戦に参加するには1人足りません。 そこで、以前もそうしたように、退部した生徒を再度スカウトすることにしま... -
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伝統空手
「伝統派」「伝統空手」という言葉は、直接打撃制ルールを採用する空手流派に対して、寸止めのポイント制ルールを採用する団体にする言葉として使われることが多い気がします。今はそうでもないのかもしれませんが、私は昔からこの表現には違和感を持って... -
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秘伝截拳道への道
空手道部に入部して1年も経つと、だいぶ体力も高まってきているのが分かりました。それでもまだ、部の同級生同士の腕相撲では残念ながら最弱でしたよ。 筋力不足を解決するため、本格的なウエイト・トレーニングを行ってみたい気持ちはありましたが、当時...
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