誰にも習うことができないまま自習を続けて1年が経つ頃、当時の鹿児島で一番の繁華街、天文館にあった「金海堂」書店で見つけた1冊の本。
ブルース・リー著、となっている、「ソウルファイティング 魂の武器―截拳道への道 ブルースから全ての闘う男たちへのメッセージ (1980年)」。まさか、ブルース・リー本人による技術解説書がこの時期に出て来るとは!
自宅には2冊以上在庫しているはずですが、中学時代に入手した初版本は友人に譲って手もとにありません。
映画のイメージで、ブルース・リーはがに股で、変な手の形の開手で闘うイメージがありました。
そのブルース・リーが、この書籍ではグローブを付け、スエットパンツのようなものを履いてスパーリングしています。
この時はブルース・リーの知られざる練習の秘密を見た気がして、かなりの衝撃だったのを覚えています。あとで知ったことですが、この一連の写真はアメリカの老舗の空手雑誌、”Black Belt”誌用に撮影されたものだったようです。版権もクリアされているのか不透明らしいのですが、魂の武器を販売した出版社も今はありませんし、これを出版した人はほかにも版権不明のままいくつかの出版物やビデオなどを販売している模様です。
私も当時は、そんな事情を知らない中学3年生。一連の写真でブルース・リーが創始した截拳道(JEET KUNE DO, JKD)の秘密を垣間見たような気がしました。それは、私がイメージしていた映画のアクションとは、かなり乖離した印象だったわけですが、彼の言葉で書かれた武道哲学がすばらしいものでした。それは武術に取り組むにあたっての姿勢をまとめたものでしたが、元ネタは先に紹介した”Black Belt”出版社による”Tao of Jeet Kune Do“になります。
魂の武器の記述の中に、空手競技の相手の寸前で技を止める「寸止めルール」を「標的の前でホコリをたてるだけの行為」と揶揄する表現があります。これは後に、高校の空手部に進んだ私に重くのしかかる言葉になってくるのですが、空手を始める前の中学3年生の時点ではそういうことは気にしていなかったと思います。
それより、この書籍は私の蹴り技を上達させるのに本当に役立ちました。一連の蹴りの分解写真を研究して、自分の蹴り方に採り入れたのです。後に空手道部に所属してからは、突きは大幅に修正されるものの、蹴りはすんなり使うことができました。空手で習う蹴り、このときに覚えた蹴りは技のバリエーションとして、それぞれ私の中に残りました。
私にとってブルース・リーは人生を変えた偉人なんですが、もう一人、この時代の私に大きな影響を与えた人がいます。
ある日、父が「天文館に行くが、何か欲しいモノはないか?」と聞いてきたので、私はなんらかの「ブルース・リー本」を依頼しました。でも、そのときには何もなかったようであり、代わりに買って来た本がこれでした。
極真会館の総裁、大山倍達先生の「わがカラテ日々研鑽 (1980年)」です。第2回世界空手道大会が終わったばかりで、この大会を振り返る主旨の書籍でした。ブルース・リーについてはあまり良く書かれてはいないのですが、世界最高レベルの選手、大会についてページが割かれており、とても興味深いものでした。特に印象に残っているのが、ハンス・ラングレンに関する評価です。
当時の彼は、黒帯も持っていない無名の選手です。この選手が、この大会で優勝した中村誠選手を大いに苦しめた、というのだから興味が湧かないわけはありません。
このときからほどなくして、私は有名映画のスクリーンの中で彼を見つけることになります。「ロッキー4 」です。
ロッキーの相手役となるソヴィエト人ボクサー、ドラゴを演じたのが、ハンス・ドルフ・ラングレンでした。最新のロッキー映画にも出演されていると思いますが、「ロッキー4 」の彼にはホンモノの迫力がありましたよ。映画のトレーニングシーンが印象的で、大学時代に一人でトレーニングするときは、この映画のサントラをかけていたことを思い出します。
このあと、大山先生の本についてもずいぶん集めました。ブルース・リー・コレクションに次ぐのが、大山先生に関連する書籍ですね。
空手を習い始める直前に入手して、空手部所属中にも常に影響を受け続けた偉大な書籍があります。これについては次の記事にて。
コメント
コメント一覧 (2件)
[…] (1976年)」です。前に紹介しましたが、「魂の武器」の元ネタとなった”Tao of Jeet Kune […]
[…] それはともかく、ブルース・リーの技術書の影響を受けたことで、高校時代の私は、空手の蹴り技 + ボクシングの技術が最高なのではないかと思い始めていました。ブルース・リーがそういうことを言っているわけでは決してないのですが、「魂の武器」を出版した人による「偏向傾向のある刷り込み」によるところが大きかったのでしょう。 […]