詠春拳との出逢い

その体験時の衝撃

ここに行き着くまで、ずいぶんと長い時間がかかりました。1987年、私はついに「詠春拳」に行き着きました。いうまでもなく、かのブルース・リーがそのキャリアで最初に習ったという武術です。

このときに学習した技術は今でも練習を継続しており、私の毎日のルーティンでも主要な部分を占めています。ですので、詳細はまたあとでおいおいご紹介するとして…。

流派は違うとは言え、高校空手で全国大会まで行ったことのある自分は、極真空手の全日本選手には全く歯が立ちませんでした。あれが練習ではなく試合だったら、1分も持たずに倒されていたでしょう。また、そのときに相手をしてくださったFさんには、「君の弱点はパンチだ」とアドバイスも受けました。

「現在の自分の体格を大きく変えることなく、この隙間を埋める方法はないか」

そう考えた際に思いついたのがブルース・リーであり、そのキャリアの初期に多用していた「詠春拳」という武術の存在でした。映画俳優として知られる彼は、実は小柄ながらアメリカで道場を経営していた実力者です。

手技が発達している詠春拳を学べば、私の弱点を埋めるのにも効果があるかもしれません。

そこで、当時発行されていた「武術」誌からスクールを探し、都内の公園で練習している団体に見学に行くことにしました。

公園に到着すると、暗闇でもみ合っている人たちがいることが確認できました。最初は一般の公園利用者を装い、ベンチから遠目に見ていましたが、彼らのやっていることがさっぱり分かりません。それで、指導者らしき人に声を掛け、正式に近くで見学させていただくことになりました。

しかし、近くで見ても分からない。両腕を交差させた二人が「もにょもにょ」ともみ合っているだけにしか見えないのです。私が以前手に入れたテキストの内容とは全くかけ離れた印象で、「これはダメなのでは…」と落胆し始めました。そして、ある程度まで見たところでもういいや、と思って帰り支度をはじめたのですけど、指導者をしていたその方は私の心を見抜いたのでしょうね。

「一緒に帰りませんか?」

とおっしゃったのです。お話を伺うくらいならいいか、と思って帰り道をご一緒しました。その中で、

「何をやっているか分からなかったのでしょう。ちょっと体験してみます?」

みたいなことを言われました。正直、止めた方がいいんじゃないか、と思いました。先生は私より5歳ほど年上に見えましたが、身長は高いものの私より明らかに細く、相手にはならないと思ったのです。ホントに私は傲慢でした。

そこから、すぐ近くの倉庫のような場所の裏庭に入りました。人通りのある場所からは確認しづらい場所だったと記憶していますが、お互いに勇気がありますね(笑)。

ところが、私の余裕の態度は一変することになります。

「好きに攻撃してきてください。」

と言われ、少々戸惑いがあったものの、私は半分加減しながら先生にパンチの連打を打ち込みました。次の瞬間、私の腕は絡み取られていて、その腕の隙間から、先生の指先が私の目のすぐ下側を捉えていました。先生がちょっと指を伸ばせば、私の眼球をえぐられるような位置です。

この時点で私は大いに慌ててしまいました。何とかほどこうとすると次は「えら」の下に指が食い込み、次に鎖骨の裏側に指が食い込みます。私を傷つけないように、ダメージを与える手前で止めてくれているのが分かりました。このような状態で私はもがきますが、力が全く入らない、バランスも取れない、全くわけの分からない状態でした。得意な蹴りを出すことも叶いません。

また先生からの圧力がすごくて、ずっと押されっぱなしの状態でもありました。これが先刻見た「もにょもにょ」の正体だったのです。

よく見ると、先生は完全によそ見をしており、ときどき目をつぶっていました。なんで、そんなことができる??

数分間このような状態が続き、私はふらふらと壁に追い詰められたりひっくり返されそうになったりしながら抵抗しましたけど…。時間が経つにつれ、先生の技量は私の及ぶところではないことを理解し始めていました。

一通りの「組手」が終わり、私がすっかり憔悴していると、先生は、

「今の攻防だと、技を止めているから、どうやって決まるか分からないでしょう? 」

といい、お弟子さんが持っていたパンチングバッグを私に持たせました。私はそれを胸の前で支えたわけですが、先生は拳をそのバッグに軽く当てました。これは、写真でだけ見たことがある、ブルース・リーの「ワンインチ・パンチ」では…?

「今からちょっとだけ、突きますね。」

といって、突然拳を構えた位置からわずかに突き込んできたのです。私は後ろに吹っ飛ばされました。ただ、吹っ飛ばされた、というより、胸の中に振動か何かが伝わった感じであり、ちょっと気持ち悪くなりました。

「これが詠春拳の打ち方の一例です。」

なるほど。冒頭の攻防で、実際に先生が当ててきたらもう瞬時に勝敗は決まっていたわけですね。

極真空手のFさんにも全く歯が立ちませんでしたが、この詠春拳の先生とは何をしているのかすら分からない状態でした。これはもう、習って解明するしかないと思いました。

この体験の直後、先生の提案を受けて、近所の喫茶店で少しお話しすることになりました。

先生は先ほどの攻防について、少し詳細に説明をしてくださいました。あのときに私が何をされていたのか、少しだけ分かった気がしましたが、まだ信じられない気持ちでいます。

喫茶店の中で、今度は座ったたままで先生に素早い裏拳を放ってみたりしたのですけど、ことごとく流されます。よくお店から追い出されなかったな…。

「なかなか筋がいいですよ」と褒められはしましたが、本人は相当ガッカリしていました。反面、新しい武術とその考え方に触れたことで興奮状態でもあったと思います。もう、この先生の「教室」に通うことは心の中で決めていました。

何か感じることがあったのか、長い時間をかけて詠春拳の特色について、丁寧に、深いところまで解説してくださいました。

自宅に帰ってメモに起こしたものをいくつか紹介しておきましょう。

初回の説明会
初回の説明会

「9/9 説明会 第1回」とあります。22歳になる直前、1987年のことですね。

詠春拳の3つの型についても述べられている
詠春拳の3つの型についても述べられている
若干危険な技も含まれますが、実際の攻撃部位はぼかされているのでそのまま載せます
若干危険な技も含まれますが、実際の攻撃部位はぼかされているのでそのまま載せます

初日の説明会だけでこんなに習っていたとは。この日のメモは、こんな感じの記述が14ページにも及んでいました。この初日の説明で、先生が詠春拳の核心に触れる発言もされていたのが分かります。そのほか、下半身の攻防についても記録されていました。

この日入門した私は、先生の元で入門型の「小念頭」と、その次の型である「尋橋」の冒頭部分、「木人椿」の冒頭部分までを習いました。併せて単黐、盤手という対人のパターン練習、黐手と呼ばれる詠春拳独特の組手も入門当時から並行して進めていきました。

私の場合、カリキュラム上では「尋橋」「標指」の型、および「木人椿」は完遂していない、もしくは習っていないのですけれど、普段の練習の中で単独で習っていた多数の技をつないでいくと、少なくともカタチだけならこれらを最後まで通して行えることが分かりました。そこはあくまでも自分のための「体操」ということで納得していて、これらも練習に利用させていただいています。

先生のスクールには、内家拳の練習生が詠春拳の併修に訪れていたり、香港からの実力派である留学生が来ていたり、他門派の方が技の交換にきたりと、これはまた刺激的な環境ではありました。

小念頭は外ではやらないほうがよい

ある日、先生がこんなことをおっしゃっていました。

「もしかしたらみんなも香港に行くことがあるかもしれないけど、小念頭などの練習を人前では決してやってはいけないよ」

と。このときはあまり深く考えてはいなかったのですが、日本でも気をつけなければいけないかな、と思った体験が2度ほどありました。

1回目は普通に公園で練習していたときのこと。その日練習場に早く着いた私は、小念頭という型をやりながら、先生や他の生徒の到着を待っていましたが、この日に限って誰も現れません。すると、向こうのほうで空手の練習をしている若い人がいるのに気づきました。私と同じくらいの年齢かな。身長は180cmくらいで、私より10cmほど高く、かなりウエイト・トレーニングをやりこんだ体をしていました。短髪で、白いTシャツにジャージ姿だったと記憶していますが、彼のシャドウトレーニングにはローキックからハイキック、防御までがバランス良く含まれています。おそらく、どこかのフルコンタクト空手道場の練習生ですね。

私はおとなしく小念頭の型を続けていましたが、よろしくないことにこの型は大きな動きを伴わない、長時間「お地蔵さん」でいるような型です。シャドウ練習をしているその青年はだんだん私の元に近づいて来て、そのうち私を挑発するように私の鼻先でジャブやハイキックの練習を始めました。

さすがに私も当時は22歳の生意気なガキですからね。カチンと来まして小念頭を中断し、ご挨拶とばかりに私の後ろにあった公園の立木を支えている、直径10-15cmほどの台形に組まれた支柱に向かって、思いきり自分のスネを使ったローキックを放ちました。あの支柱、直角に当てるにはいい角度なんですよね。そう、このころはローキックでバットを折るのも苦ではなくなっていたのですが、カッカしたとはいえ、まさか立木の支柱を折ろうとするとは(笑)。

これがまた、「ボキッ」と鈍い音を立てて、支柱は見事にくの字に折れ曲がったのですよ。蹴った私も「あれ、折れた」と思いつつ、空手青年のほうへ振り返ると…。猛ダッシュで逃げていく彼の後ろ姿が(苦笑)。

その後、折れた支柱を確認してみると、だいぶ朽ちて、弱くなっていたようです。これをなるべくまっすぐになるように戻して、何食わぬ顔で小念頭の練習に戻りました。もう、これ時効ですよね?

また先生の元を離れ、大阪に転勤になったあとの話です。私が住んでいたのは大阪市生野区にある町で、ちょっと治安に問題がある感じでした。ごく近所に入口が鉄板になって窓には格子がある事務所が2つあったのを記憶しています。

今里駅前の商店街の左右に複数ある、小さな路地の入口のところで、自転車に乗って身構える正体不明の中年男性たちがたくさんいた時代です。私は何ヶ月か住んで慣れていましたけど、東京から遊びに来てくれた女の子たちは、この光景の怪しさにおびえていました。あの人自転車の人たち、何をしようとしていたのでしょうか?

とある夜、そんな地域の広い公園のジャングルジムの近くで、例によって私は小念頭の型を練習していました。すると公園の入口からカップルが入ってきて、男のほうがニヤニヤしながら肩を怒らせ、私のほうに近づいて来ます。女のほうは、「ちょっと、止めようよ」といったそぶりでした。

男はひと目見て分かるアウトローな感じだったので、これは面倒なことになるな、と思いました。でも、もう仕方がないと思ったので、型の練習を止め、ウォームアップ代わりにとなりのジャングルジムに向かってローキックを数発連打してみました。スネはさすがに鉄には負けるでしょうから、ごく軽く、です。ところが、ジャングルジムの構造によるものなのか、周囲に「ガイーン」と、ものすごい音が響いてくれました。「よし、OKっぽい」と私がアウトローのほうを振り返ると、鼻先まで来ていたはずのアウトローはなぜか女の肩を抱き寄せ、ものすごい早足で離れていくところでしたとさ。

以降、外での小念頭の練習はやったことがありません。

なぜ先生の元を離れることになったのか

実際、詠春拳の体験や習ったことは、その後の自分を大きく変えました。当時の私は少年時代の反動からか、より強くなりたいという意識を強く持っていましたが、詠春拳がそれをかなりの部分で満たしてくれるものだったからです。

大学を中退してとあるスポーツクラブの社員になるころは、他の武道や格闘技の人ともよくスパーリングしました。

印象深かったのは、「中国武術は体操だ。最強なのはテコンドーだ。」と主張する同年代のテコンドー練習生への対応です。彼から比べると私は小さくて痩せているので、たぶん舐められていましたね。

私もカチンと来て、彼が思いきり蹴ってきた後ろ回し蹴りに軽い蹴り脚ストッピングを入れて転倒させました。試合開始後数秒後だったと思います。「それは反則だ」と主張され、仕切り直しにしたのですが、また性懲りもなく後ろ回し蹴りを出すので、今度は少し早いタイミングで尻にストッピングを入れて転倒させました。またブツブツ言ってきましたけど「最強格闘技に反則なんかあるの?」と聞き返して対応を終えました。

もう一つ、体重差が40kgもある学生相撲の子とスパーリングしたときもちょっと本気になってしまいました。100kg近い体重で58kgの私を崩すことができないばかりか、逆に私に押される場面が多かったこともあってか、彼も結構熱くなってきて。私は、というと実は彼の力を詠春拳の技で流しており、それにより彼がバランスを崩したすきに彼の胸部を掌打で軽く叩いていただけなんです。彼から見たら張り手の打ち合いのように感じていたかもしれませんが、すごく気持ちが悪かったと思います。反面、私のほうはこの体重差を埋める詠春拳の技術に心底信頼を置くようになりました。

こういう、他の武道や格闘技と私が交流していることを先生は知っていたらしく、ちょっと習った技を他で試しては満足している、という印象をお持ちだったようです。実際その通りなので反論できませんが、かなりあとになって、先生が何らかの記事に、明らかに私を批判していると思われる文章を書かれていました。

私も先生に対していっぱい迷惑をかけた上で、中途半端な状態で先生の元を離れることになりました。そんな態度の私に勝手なことをされるのは、心中穏やかではなかったと思います。

もちろん、私の側にも先生の元を離れることにした理由はありました。それは、

「指導者が生徒に教える技、教えない技を選ぶ自由はあっていいと思う。でも、意識的にウソを教えてはいけない」

と感じたことによるものです。

中国武術の世界では、弟子の資質を見極める間、本当のことを教えない、という伝統のようなものがあるらしいです。それを踏襲しているのでしょうけど、教える技を選択するのはともかく、ウソを教えてお金を取るのは正当な行為ではありません。

「法治国家が確立した現代社会では伝統的な武術など役に立たない。もっと実用に応じたスキルを磨くべきだ。」

と先生は常々おっしゃっていました。しかし、虚偽の指導を正当化する伝統的な「悪習」は守るのに、伝統技術は訳に立たないと、現代社会のあり方を語るのは、どこか矛盾したものを感じないでしょうか。

後に私の勤務先が変わり、さらにスポーツクラブ社員になってシフトの自由が効かなくなり、道場へ通うことが難しくなりました。私はそれを理由にし、練習に行かなくなりました。それでもときどき、「先生は偽の技に気づくか、私を試しているのでは?」とよいほうに捉え、一時的な復帰を試みたことが何度かはあります。でも、その後も新しい弟子たちが「明らかなウソ」の技術を画一的に練習させられているのを目撃したことで、気持ちが萎えてしまったのです。

私は武術を先生の元で続けるのは断念しましたが、人としての尊敬の念は変わっていませんし、今でも感謝しています。あの若さで、あれだけのバイタリティを持っていた人を私は知りません。

振り返ってみれば、当時先生に教えていただいた武術の要素が、今の私にとっても大きい存在であることが分かります。もちろん、その中にはカタチだけしか教えていただいていないものや、偽の技が含まれるかもしれません。さらに、正しく習っているのに私が曲解しているものもあったりするでしょう。その後の長い時間の間に、他の武術の先生との交流であぶり出された技もあったりします。

このブログでは、自身の身体感覚の変化や体の使い方の改善結果など、気づきの面での情報をときどきご紹介できたら、と思います。

おそらく初学者がいきなり達人のマネをしても、技を作っていくのは難しいといえます。初学者と中級者の間をつなぐ橋渡しくらいの役割ができたら、このブログの価値も出て来るのかなあ、と思っています。私もまさに、まだその過程にいるにすぎませんから。