ブルース・リーの唯一の公式試合

ブルース・リー伝

ニュース映像で流れてくる、ロシア軍が撤退したあとのキーウ周辺の映像。ぼかしが入っている映像とはいえ、21世紀の今起こっているとは思えない衝撃的な映像でした。なぜ、人間というものはかくも残虐な存在なのか。

自分が練習している武術についても、元は非常に残忍な技が多く、突き詰めれば根底には自分の理想との間に矛盾があるのかもしれないと思うことがあります。武術に対する個人的な取り組みの目的は全くその部分には置かれておらず、自分の可能性を追求するための手段でしかないのですけれども、こういう戦争や核の抑止力についての報道があったりすると、考えたくなくても武術が生まれた背景に行き着いてしまう。

なんの落ち度もない一般市民の命を奪う行為は戦争犯罪でしかありません。あの映像のぼかしの向こうに横たわっていた人が、自分の家族だったり、自分自身だったりすることを想像すると、いても立ってもいられないような気持ちになります。

今回は20人ですが、日本を避難先に選んで下さった方々が到着されました。2022年4月5日時点でトータル400人くらいとのことで、数的にはまだまだですが、文化、物理的な距離などで難しい部分もあろうかと思います。

どうか穏やかにお過ごし下さいますよう。また、一刻も早くこの戦争が終わることを祈ります。

目次

ブルース・リーのボクシング試合について

ブルース・リーの少年時代の逸話として、聖フランシス・ザビエル学園のボクシング・チームに所属し、学校対抗試合に出場してその当時3年連続チャンピオンだったというゲーリー・エルムス(Gary Elms)選手に勝った、というものがあります。これについては、かなり昔に、フィットネス系サイトの記事にまとめたことがありました。

https://docs.icofit.net/lounge/column/bruces_power.html

私が読んだ当時の資料では、いずれもブルース・リーがKOしたことになっていました。

この試合について、ブルース・リーの日記に短く記されていたことが分かっています。

一九五八年三月二十九日

「三年連続チャンピオンのゲーリー・エルムと対戦。学校対抗の競技に勝つこと。場所、聖ジョージ学校」

悲劇の死 ブルース・リー 妻Lindaの手記 リンダ・リー著/丹代セエ子訳 ケイブンシャエコーブックス P64

「〜勝つこと」というのが今一つ分かりにくいのですが、試合直前に書かれたのか、試合後に書かれたのか、原文を見ないとはっきりしませんね。でも当時の原文は広東語かも。

悲劇の死 ブルース・リー 妻Lindaの手記

しかし、この試合の本当のところについては長い間その当時の写真とか一次資料となる記事などが提供されずに、どこまで本当なのだろうか、ということは感じていました。

写真はpinterestからお借りしたものです。この写真を初めて見た時期はハッキリ覚えていませんが、通販もしくは渋谷に会ったアルバンで買った洋書に掲載されていたものと思います。当時はてっきり手前の少年がブルース・リーなのだと思っていたところ、後に笠尾恭二先生の書籍(※)でこの写真が紹介された際、対話形式で綴られた文章の中で、先生の相方となる五郎くんのほうが

やられているほうがブルース・リー?

なんて言うものだからびっくりしました。確かに、やられているほうの胸にSFX(St. Francis Xavier)の文字が…。

しかし、笠尾恭二先生によれば、「これはブルース・リーではないでしょう」とのこと。

(※) この書籍は現在手もとにないため、書籍名などはわかりません。見つかった際に改めて参照元を記載します。また、この書籍には同じブルース・リー日記が引用されており、そこでは「勝った」「勝利した」という風に過去形で訳されていました。

私はもとフィットネス系のトレーナー、インストラクターをしていたので、顔が人それぞれ違うように、筋肉の付き方にも相違があることを知っています。このやられている少年の腕や肩の筋肉、大腿部や下腿部の筋肉の形状はブルース・リーとは明らかに異なって見えたので、別のSFXの選手であろうとは思ってはいたものの、確信が持てずにいました。

しかし、最近目にするようになった次の写真で、ほぼ真相は明らかになったかと思います。

こちらもpinterestさんから。明らかにブルース・リーと思われる少年が、相手の少年を圧倒している写真です。先に紹介した、コーナーに追い詰められていた少年とは靴下も靴も違いますね。表彰を受けているときの髪型と比べてみたり、特徴的な左肘あたりの骨格、筋肉のつき方をなど見ても、この少年がブルース・リーとみて間違いないと私は思います。

一連の写真を見れば、顔に傷一つなさそうなリー先生が笑顔で表彰されているものが含まれるので、勝利したことは間違いなさそうですが、それでもまだ確証がない。

Bruce Lee: A LIFE

そんな中、2018年に”Bruce Lee: A LIFE“という書籍が出版されました。2019年には日本語訳(「ブルース・リー伝」)が行われ、これは私も発売と同時に入手しています。この書籍にはボクシング対抗試合についても細かく掲載されていて、ホーキンス・チェン黄淳梁、スティーブ・ガルシア、ロルフ・クロースニッツァー各氏の証言でまとめられています。聖ジョージ学校で行われたこの大会では1回戦と決勝が行われ、三年連続で勝っていたゲーリーさんは1回戦に勝利し決勝に上がり、初出場のブルースは1回戦は不戦勝で決勝ラウンドに進んだとのこと。

決勝ラウンドの試合にて、ブルースーは数回ゲーリー選手をダウンさせているようです。でも、押しや投げと判定されダウンを取ってもらえなかったこともあったそうで。

結果、KOには至らず判定勝ちとなり、ブルース本人は結構ガッカリしていたみたい。本人によれば8オンスのグローブを着用しての試合であるため、大きなダメージを与えることができなかったとのこと。

ブルース・リー伝

この試合の証言者の1人、黄淳梁師傅は詠春拳をブルースに教えた実質的な師匠とも言われますが、この方が著した雑誌があります。

REMINISCENCE OF BRUCE LEE by Wong Shun-leung

“REMINISCENCE OF BRUCE LEE by Wong Shun-leung”という香港の雑誌(ムック)です。私が中学2年生のとき、1979年頃だと思うんですけど、友人から初めて買った3冊の香港雑誌のうちの一つです。

この中で、黄淳梁師傅は1Rにブルース・リーが相手選手からダウンを取った旨のことを述べておられます。ただ、試合会場が聖ジョージ学校ではなくキングジョージ5世学校と記されていました。これはおそらく、当日に書かれたブルース・リーの日記にある「聖ジョージ学校」が正しいと思います。

いずれも証言で、なかなか核心を突く一次資料が見つからない…。

当時の新聞記事があった

そんな中、YouTubeさんをいろいろ見ていると、次のような動画が見つかりました。

この中に、当時の新聞記事が掲載されているのです!

これは元ネタがあるな、と探してみたところ…。

https://www.bloodyelbow.com/2020/2/6/21082215/requiem-for-a-fighter-meet-the-only-man-to-officially-fight-bruce-lee

ありました。本文についてはゲーリー・エルムス氏のその後についても詳しく書かれていて、興味深いところではありますが、とりあえず、新聞記事から事実として分かるところは、

  • 全部で19試合行われた
  • うち12試合はSt. George Schoolの勝利
  • La Salle College は4勝
  • King George V Schoolは2勝 (ゲーリー・エルムス氏所属)
  • St. Fransis Xavier’s Collegeは1勝 (ブルース・リー所属)
  • Lee (SFX) beats Elms (KGV) (ブルース・リーの勝利)

ということ。

Bruce Lee: A LIFE“に書かれていた1回戦でのゲーリー選手の勝利は記録されていませんが、もしかして別日だったのでしょうか。

この中でKOと呼べる勝利は1戦のみで、それがこの日の話題をさらったという風に記録されています。

  • Berton (SGS) beat Strange (KGV) by a TKO in the third round

Peter Burtonというドイツ人の選手が3ラウンドにTKO勝利をしたというこの記録が、Leeの試合記録の一つ上に書いてありました。これが、ブルースのKO伝説とごっちゃになっているかもしれません。

事実は、ブルース・リーは判定勝利だったと考えられます。この点で、”Bruce Lee: A LIFE“の記事の信憑性が高まりました。

いずれにしても、ブルースの勝利は間違いないようで、コーナーでヘロヘロになっている選手は靴や靴下の違いからブルース・リーではない、ということもいえると思います。当日はブルースを含めて7人の中国人選手がいたとも書いてありますから。

  • Austin (SGS) beas Hawkins (SFX)

このHawkinsというのは、先ほど”Bruce Lee: A LIFE“の証言者に名前を連ねた、ホーキンス・チェン氏かな? この方も詠春拳を学んでいてその後有名な師範になっていますが、この大会に参加されていたのかもしれません。この方は例の「黄得文(Wong Jak-man)戦」にも立ち会ったという話があり、今後の記事でまた紹介することになるかもしれません。

あと、ゲーリー・エルムス選手が3年連続チャンピオンだったかどうかまでは確証が持てません。ブルース・リーの日記には確かそう書いてありますが、これについては公的な記録が見つからないので。

もし、ゲーリー氏がそれほどの存在だったなら、Peter Burton選手の勝利もそうですが、「ゲーリー敗れる! 」みたいなことが書かれていても良さそうな気もします。

それにしても。

https://www.tapology.com/fightcenter/bouts/539661-inter-school-individual-boxing-championship-the-dragon-bruce-lee-vs-gary-elms

なんか、いろいろな試合結果が紹介されているサイトに、まさか1958年3月29日に行われたこの試合まで記録されているとは(笑)。ゲイリー選手はそれまでの戦績もあるのに、0勝1敗1分では可哀想…。

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