宮城・福島で大きな地震があり、私が居住している東京都杉並区でもゆっくりした揺れが長く続きました。該当地域の方々、十分にお気を付け下さい。
肩甲骨の使い方の参考書
最近、こんな本を買いました。
「肩甲骨は閉じない、寄せない 開いて使う!」です。
肩甲骨について私が持っているイメージは、
「肩甲骨を閉じる」=「下制と内転」、「肩甲骨を開く」=「外転」※
というものです。
※ 用語については、下記が参考になると思います。
詠春拳で習った術技はこのうち、肩甲骨を下制の位置を保ったまま外転させて練るものが多いです。以前、「チンクチ」のところで、前鋸筋と肩甲骨のことに触れたのですが、肩甲骨を外転させた状態で力を発揮することについてのヒントがこの本にあるのではないか思いまして、冒頭の書籍を入手した次第です。
しかし、この書籍に紹介されているのは私が考えているものよりずっと基本的なもので、肩甲骨を開くイメージが単なる外転に留まらず、流行りの言葉で言うと「立甲」を行って前鋸筋を使えるようにするためのコンディショニング法の解説でした。私の場合は昔から普通に立甲できていて今さらなところもあって、ちょっと私の期待とは違っていましたね。
ただ、この本の表紙写真を見たのをきっかけに、詠春拳を習い始めて間もない頃に「肩甲骨や背中の使い方についていろいろ迷走していたこと」を思い出したのです。
今回のテーマはその迷走の原因となった、「動作に実際に関与する物理的な筋肉や関節の働きと、それをコントロールするためのイメージの間にある乖離について」になります。
詠春拳で背中の筋肉を使うということ
以下に紹介する内容については、当時先生から「他の人には話さないように」と釘を刺された部分ではありますが、今では詠春拳を練習なさる方々が増え、すでにYouTubeなどで具体的な動きが紹介されたり、いろいろな人が述べていらっしゃったりしていることでもあります。ですから、私が今さら触れることについては問題にならないでしょう。
さらに、今回は背中の使い方がテーマではなく、実際の神経筋の働きと、その操作イメージの乖離を説明するための一例として挙げるものであることをお断りしておきます。
私が22歳で詠春拳を習い始める以前は、数年間に渡って空手を練習し続けていました。詠春拳では毎日最低でも300本の直拳を練習せよとのことでしたので、私も真面目にそれを行い始めました。しかし、指定された速度で打ち続けると100本続けただけでもかなり肩、三角筋の部分に疲労が溜まってきます。
すると、先生や先輩は、
「慣れてくると、肩ではなく背中が疲れるようになる。三角筋に比べ背中全体は大きいので、これを使えるようになると1,000本くらいでは疲れを感じないはずだ。」
といいます。なるほど、背中の筋肉を使うのか、と私は背中の筋肉を意識し始めます。当時、私はフィットネス・トレーナーをやっていて解剖学が得意だったので、いろいろ背中の筋肉を使う方法を考えながら、ウエイト・トレーニングでやるように「使う筋肉を意識」し、直拳や小念頭の攤手、伏手、膀手などを行っていました。
しかし、なかなか上達しません。相変わらず三角筋も強く疲労します。
それを見た先生が、
「背中の筋肉を使うと言ったって、そこを意識しちゃだめですよ。意識するのは肘!」
とおっしゃるではありませんか。さらにその後の練習で先輩が
「背中の筋肉を使おうとするんじゃなくて、肘を意識して動かした結果、背中が疲れる、という話ですよ」
と補足してくれました。
そこで、背中の筋肉を使うことを意識するのを止め、肘の動きを習った通り正確に行ってみることにしました。それでようやく、先生や先輩方がおっしゃっていた言葉の意味が分かったのでした。
実際には肩甲骨を開く前鋸筋だけでなく、直拳で伸ばされる菱形筋や僧帽筋の感覚、伸張反射で逆に収縮するそれらの筋肉、実際に戻すときに無意識に使う筋肉などが総合的に連携した結果、背中が疲れた感じがするのだと思われます。背中のそれぞれの筋肉に焦点を置いてその連携をいちいち分析するのは至難の業ですが、それを肘のコントロールに置き換えるとそうでもなくなり、実際に背中の必要な筋肉が連動するようになっていくのが分かると思います。それをより精密に練るために、詠春拳の小念頭ではあんなにゆっくりと動作を行うのだでしょう。
体の動きを司る物理的かつ精密なメカニズムと、私たちがイメージすべき動作の乖離について考え始めたのはこのころだったと記憶しています。
身体の物理的なメカニズムを操作するためのイメージ
このことは、なにも武術に限った話ではありません。私は子供の頃から運動神経が鈍く、早く走れませんでした。速く走るためには地面を強く「後ろに向けて」蹴らなければいけない、というイメージもあり、きっとそういう走り方もしていたと思うのですが、走りも安定しないし一向に速くならない。
その後、地面を蹴るのではなく「垂直に踏むイメージを持つ」のが速く走るコツであることを知りました。これを理解すると長年遅かった私のスプリントは上達し、ここでも何度か述べたアメリカの運動指導者研修のビデオ撮影でも現地の専門家さんに褒めていたくほどになりました(ただし、「スプリントはいいけど、長距離フォームは肩に力が入りすぎてる」とのことでしたが(笑))。少しあとに友人の野球チームに短期間所属したことがありましたが、おそらく私が一番足が速く、試合では盗塁ばかりしていましたよ。
こんな感じで、必ずしも体の物理的なメカニズムのイメージをそのまま動作イメージに持ち込まないほうがいいケースもあるようです。
身体操作イメージについていろいろ調べていたところ、特にこの肩甲骨周りについて特にいいな、と思ったのが高岡英夫先生の「ベスト」という概念です。詳しくは先生の書籍を読んでいただきたいのですが、私たちの実際の体は先生のおっしゃる「ベスト」の構造とは全く異なります。しかし、このベストの意識を持っていると実に上肢帯-上肢を自由に使えるのです。こういう動作イメージの作り方、面白いなあと思いました。
余談:立甲
立甲というのが一般的に認知された専門用語なのか、高岡英夫先生が主張されているように先生の造語なのかはわかりませんが、ここで少しだけ立甲と詠春拳について考察してみます。
ここには掲載しませんけれども、ブルース・リーの師匠である葉問宗師と彼が黐手(盤手)を行っている写真が多数残っています。
その中で私の中で特に印象深く残っているのが、ブルース・リーの肩甲骨が大きく「立甲」している写真です。
写真はpinterestからお借りしました。
葉問宗師の肩甲骨は外転しているようですが、横から見る限り、先に紹介した書籍の写真のような「立甲」は見られません。しかし、葉問宗師の力を受けるブルース・リー側は肩甲骨が大きく立甲してますね。
基本的には葉問宗師の肩甲骨の操作が正しいのだと思います。でも、私も攤手や伏手でブルース・リーのように肩甲骨が立つことがよくあります。彼ほどは猫背にはなっていないと思いますが。
私の場合、基本的に小念頭でゆっくり練るときにはこの葉問宗師のような感じになっているようですが、少し腕を伸ばしたところから急激に肘を落としたときなどは、肩甲骨が立ちます。肩の力を抜こうとすると、どうしてもそうなってしまうのですよね。
ブルース・リーについては、「ドラゴンへの道」のコロシアム対決前のシーンで見事な立甲を披露しています。私には膝の上に手を置いた状態では、立甲は出来ないんですよね。すごいと思います。
余談: 肩甲骨の外転の必要性
こちらもpinterestからお借りします。
こちらを見ると、肩甲骨の側面(外側)に上腕骨を受け止める関節窩があることが分かります。もし、詠春拳のような、上半身をターゲットに対して正対するようにして術技を行う武術では、肩甲骨を閉じたままにしてしまうと、肩甲骨の関節窩が斜め方向を向いてしまい、上腕骨から伝わる力をしっかり受け止められなくなってしまいます。しっかり肩甲骨を外転させることで、肩甲骨の関節窩が前側を向き、突きの衝撃をしっかり支えることができるわけですね。
それに対し、上半身を横に向けて突く武術の場合は(八極拳とかスポーツ空手とか、ここでもよく取り上げるJKDとか)、詠春拳のような大きな外転で肩甲骨の方向を変える必要はなく、少なめの上方回旋 + 少なめの外転、という感じで突きの力をしっかり肩甲骨で受け止めることができることになります。