詠春拳の短所に関する所感

後ろ回し蹴り
目次

はじめに

詠春拳を習い始めてからしばらくの間は、スパーリングをする際にそれまで身につけた空手系の技を使わず、詠春拳で習った技を使うように心がけていました。前回もお話ししたようにスパーリングの目的は勝敗を付けることではなく、自分自身と相手の技能をお互いに高めることです。詠春拳の技能を高めようとしているときに、空手の技を使うのでは意味がないですから。

前回は詠春拳を使ったスパーリングが優位に進められたケースを紹介しましたが、今回は逆にいろいろ難しく感じた経験を紹介します。それらは、過去に習った空手と比較して感じられたものが多かったと思います。ただし、当時知っている詠春拳の技に限定していたこともあって、私の知らない範囲の技では相手に対応できなかったという側面も大きかったことでしょう。

ということで、ここで述べる弱点や短所は、必ずしも詠春拳そのもののに存在するものとは限らず、私の弱点であった可能性があるということをご承知置きいただきたいと思います。

グローブをつけてのスパーリング

まず、私が特に苦手としたのが「グローブを付けてのスパーリング」です。もう何十年もやっていないですけれども、今でもおそらく得意ではないですね。

最初の洗礼を受けたのは、当時散打にも参加されていた形意拳の道場生とグローブを付けたスパーリングを行ったとき。相手がグローブに慣れていることもあったと思いますが、ほぼフルボッコにされた記憶があります。あまりにも叩かれるので、つい反射的に空手時代の技が出て、記憶では相手に命中させることができたのはこの順突きだけでした。

女子ボクシングの選手(私より階級は上でした)とスパーリングしたときも、鼻先にダブルジャブをまともにもらったり、ボクシングジム選手のカウンターをもらったり、相当叩かれた記憶は残っていますけど、逆にグローブ+詠春拳では自分の技をきれいに決められた記憶があまりないのです。グローブを付けているのだから、相手の顔面を一定以上の強さで打っていいよ、というせっかくの機会だったんですが。

ちなみに、グローブを外すと、こういう攻撃はいくつかの技を除いてほとんど喰らうことはありませんでした。つまり、私の場合はグローブを付けることで自分の技が制限されたものと思われます。特に、私が持っていたのは12オンスのグローブでしたので、素手との感覚が違いすぎました。

このように手の感覚が得にくくなるのもそうなんですけど、詠春拳の「構え」がグローブスパーリングには向いていない、ということも大きかったと思います。詠春拳の「構え」では、普通は前手を前上方に伸ばす「問手」と後ろ手をみぞおちあたりに置く「護手」を組み合わせ、その両者を正中線上に置く形になります。この状態で12オンスのグローブをつけると相手の技が途端に見えなくなってしまうのです。このことは、おそらく私がパンチを多数被弾する主因になったと思います。

大きなグローブで練習するなら、前手を下げたり、肘をもう少し縮めて正中線を開け、ボクシングのように構えたほうがよいのですが、そうするともはや詠春拳の練習ではなくなってしまいます。指先を常に丸めなければならないところも、詠春拳の問手+護手の構えとは根本的に異なりますし。

特にフックやスイングをすごくもらって頭痛になるのが常でしたので、いつしかこの練習は止めてしまいました。高校時代に頭をたくさん殴られているので、そのときのダメージの蓄積もかなり心配でしたから。

こういった技をうまく処理するためには、やはりウィービングやスウェイなど、ボクシングで発達した防御技術をマスターしないとまともにスパーリングを行えない気がしました。

ブルース・リーが高校時代、ボクシングの試合に出場して3年連続チャンピオンのゲーリー・エルム選手を詠春拳の直拳で追い込んでKOしたという伝説があります。そういう戦法を使えばいいのかと考えたこともありましたが、私の場合は相手がよく見えていないし、私自身直拳の連続パンチはそう得意ではなかったので、効率的に攻め込むのが難しく、そう甘いものではないことを実感しましたよ。

後ろ回し蹴り

まだ詠春拳を習い始めて間もない頃、芦原会館に通う方とスパーリングしたことがあります。トレーニングジムの中に多人数用の5cmほどの厚さのストレッチマットを敷き、その上で行ったと記憶しています。

この団体の技については「空手道部引退から大学合格まで」で紹介した「実戦!芦原カラテ―ケンカ十段のスーパーテクニック」シリーズは読んでいたものの、このころはビデオは未入手だったかもしれません。詠春拳の三角理論とはまた違ったステップワークでの捌きはすばらしいもので、私も詠春拳の三角理論で相手の中心を取る動きを心がけ、狭い間合いを保っていました。

しかし、さすがは芦原会館の空手です。彼はいきなり至近距離から後ろ回し蹴りを放ちました。後ろ回し蹴りのガードもアダプター技術として習っていたので完璧に対応できたつもりでしたが、これが甘かったのです。

このイラストよりもっと距離は近かったと思います。右の攤手は先生から習った曲線系の技に対するアダプターの形で、肘を深めに折り、自分の正中線上より拳2つ分くらい外にずらしたものにしていて、さらに左の拍手を合わせました。これで大丈夫…と思った瞬間、相手の後ろ踵がまともに私の顔面を捉えたのでした。

このころ多く使われていた後ろ回し蹴りは股関節を中心に力を生むものが多く、蹴り足を大きく走らせるために胴体を逆回転させる人が多かったように思います。ちょうどこのイラストの左の人のような感じですね。しかし、芦原会館の技は上半身が付いてくる上、膝を強く巻き込んでくるのです。ふくらはぎに合わせた私の攤手は簡単に膝側に持っていかれ、巻き込んで来た踵がまともに私の顔面に飛び込んできたのでした。まあ、このイラストを見ても、この受けでは頭に喰らいかねないですよね…。

膝の巻き込みなので、股関節から走らせてきた蹴りよりはダメージが少なかったのですけれども、あぶなかったです。このあともスパーリングは続けましたけど、この受け損ねはショックでした。

詠春拳は弱い?」でも書きましたけど、キックボクシングや空手の技を安全に受けるためには、その中で発達してきた受け技を習って身につけたほうが安全かな、と思うのはこういう所です。従来の詠春拳が想定していなかった技を、わざわざ詠春拳の受けを適用しようとするのは、危険なところもありそうです。当時の芦原会館の上段蹴りの受け方は独特だったんですけど、その受け方を少しでも練習して適用していれば、この蹴りは防げていたでしょう。

ただ、他流派の形を使うにしても、詠春拳で得た基本的な力を使えば、かなり効率良くダメージを吸収したり崩したりはできると思います。だから、詠春拳の基本的な練習が役立たない、ということではないと私は思っています。

詠春拳の長所に関する所感」では後ろ回し蹴りにを二度にわたって止めた例を紹介しましたが、このときの経験は大きかったですね。こんなに近距離だと難しいけど、技の起こり始めの段階で詠春拳の前蹬腿で止める方法を練習したのです。それができなかったような場合には、しっかり顔面を守った上での腕を使った対応が必要になるので、攤手を使うのを止めました。

このように私は曲線系の技への対応が苦手でしたが、本来の詠春拳は香港でのライバル流派である蔡李仏拳などへの対応も想定していたはずなので、そういった技術の応用ができればいいのかもしれません。

長距離砲

さきほどの芦原会館の方と同じ場所で、海外から武道留学で来られている外国の方と組手をしたことがあります。松濤館空手道の有段者で、体格は痩せ型に見えましたが身長が190cmを超えていました。彼が遠い距離から前蹴りを蹴ってきたとき、下段へのガンサオを使って流したつもりだったのに、彼の足が長すぎて受ける方向が悪く、まともに腹部に喰らってしまったのです。相手の攻撃を捌くには、相手の武器の長さや関節の位置などの感覚もしっかり捉えなければならなかったところ、規格外の長さをうまく認知できなかったのでしょう。このときの外国人の方の「マジか」という表情も忘れられませんが、私がクールな表情をしていたのが不思議だったらしいです。スパーリング中のポーカーフェースは詠春拳の基本的ですからね。

でも、私としては完璧に避けたつもりだったのに、信じられない伸びを見せて飛び込んできたシンプルな前蹴りを受けきれず、喰らったのがショックで内心は動揺していました。また、前蹴りが全く効いていなかったわけではなかったので、あのあと追い突きが来たら私はノバされてたかも…。

また、前にも書いた「アメリカ」での研修で、オレゴン州立大学で講師をされていた方と向かい合ったこともあります。彼は空手の選手で、「以前試合で詠春拳の選手を倒した」といい、そのときの写真を見せてくれました。ちょうどその先生が順突きで飛び込む瞬間の写真で、相手の選手が前足を浮かせ、横を向いた変な「膀手」で突きを止めようと試みていました。講師によれば、このときの順突きがその膀手を押さえてそのまま、相手の顔面を捉えたそうです。

そんなこともあって、講師と私とでお互いに「ちょっと試してみようか」という話になり、宿舎の裏にあった駐車場で組手を行いました。この彼は身長は185cmほどで、体重が80kg台だったと思います。このとき私は、日本での松濤館流の方との組手の記憶が残っていたので、自分からなかなか出て行けませんでした。でも、これは講師の方も同じだったようで、試合で向かい合った詠春拳とは雰囲気が全く異なったそうで、踏み込もうとするとそれに合わせて私が出て来るように反応するのが不気味で警戒したみたい。

企業の研修で怪我をする、させるとマズイということにお互いが気づき、結局直接のぶつかりはなく最終的に握手して終わったのですが、私も結局手が出なかったというのが実情です。

もう一つ。これは逆の立場ですが、私が詠春拳を習い始めたとき、「空手ではどう攻撃するのか」と聞かれ、先輩や先生に全空連式の攻撃を仕掛けたことがありました。かなりの遠距離から一瞬で距離を詰めて突く技への対応に慣れていなかったのだと思いますが、まともに当時の先生の腹部に入ってしまいました。先生の顔色が瞬時に変わったことを覚えています。もう一回タイミングを変えて入りましたが、やはりほとんど反応がなく普通に入ってしまう。先輩に対してもそうです。

護身の場合はこういう状況になる前に対処するのでしょうけど、もし、ルールを決めて「試合」「スパーリング」となれば、それなりに相手武道に対する知識がないと対応は難しいのだな、と思った瞬間でした。

少林寺拳法の柔法

高校3年生のとき、空手道部顧問が少林寺拳法三段をお持ちだったので、比較的古くからこの武道を目の当たりにする機会はありました。そのときの印象は連打が猛烈に早いということと、柔法という関節技が緻密だ、というところでした。

この顧問の先生と部活の中でガチ組手をやったことがあります。当時は空手の師範側がこの学校顧問の先生に対して思うところがあったこともあり、「コテンパンにやれ」という指示を裏で受けていたこともあって、顔面を除いたハードコンタクトの組手になりました。

顧問の先生は三段とはいえ32歳になっており、さすがに現役の高校生と組手をするのは大変だったと思います。終始私が押してはいたものの、胸や脇腹を叩いても、あるいは蹴っても倒れることがありません。寸止めの試合に慣れていて単発から2撃くらいまでが得意な私に対して、接近した際の先生の強烈で素早い連打については私も受けきることができず、私の側もノーダメージではいられませんでした。

この組手では先生がタフだったこともありますが、ついに参ったを言わせることができませんでした。

そういう出来事はあったものの、この先生とは実はお互いに仲が良く、大学受験においても大変お世話になったので今でも感謝しています。N先生、お元気にしていらっしゃいますでしょうか?

その後大学に進んだあとは少林寺拳法部の同級生と仲良くなり、体格もほぼ同じだったのでよく組手をしていました。空手を使っている頃は互角でしたけど、空手時代も彼とグローブスパーリングをすると、結構パンチをもらっていましたね。

私自身は高校時代の顧問に柔法を教えていただいたり、東京に最初に来たときに、スポーツクラブ所属の先生に柔法を習ったりしてその怖さを熟知していたので、詠春拳を覚えてからの少林寺拳法の友人とのスパーリングではあまり黐手で得た技術を使わずに三角の理論に一瞬の四角の理論を混ぜたりして対応していました。

このころの友人は大学の少林寺拳法部の副主将になっていて、二段か三段かになっていたこともあって技が高度化しており、とても勉強になることもあって、詠春拳の先輩にマス・スパーリングをしないか、誘ってみました。先輩も興味を持ってこの練習に参加してくれることになりました。

スパーが始まってすぐ、私と違ってすでに詠春拳の「力」を得ている先輩は四角の力で真っ向から押していき、さすがだな、と思っていたところで突然先輩がガクン、と腰を落としたではありませんか。先輩が膀手したところ、友人に手首を取られて決められたのです。この組手において3度ほど、先輩は関節技を取られていました。一見、常に前に出ている先輩が有利に見えるのに、結果は逆でした。詠春拳は接近戦で打撃を行う武術ですが、少林寺拳法、合気道といった関節技を用いる武術に限らず、同じく接近して戦う柔道なども袖を掴まれたら厳しいな、と思っていました。友人には何人か柔道の有段者や全国大会レベルの選手もいましたけれども、お互いに組んでみよう、という話にはならなかったのは幸運だったかもしれません。多分イチコロでやられてました。

タックル

スクールに所属していたとき、たまに他のスクールの方が出稽古のような形で参加されることがありました。その中に身長は同じくらいなものの体重が90kgほどある、八極拳の練習性の方が来られていたのを覚えています。この方はアマチュアレスリングの選手だったとのことで、一度スパーリングをしよう、という話になりました。

当初、詠春拳の技術で対峙しようと考えました。この状態ではお互いになかなか手が出ないのですが、私はカウンターで前蹬腿か膝を合わせることを狙っていました。少し見合った後、私たちの側のスクールで下手に詠春拳の技を使ってしまうと面倒なことになることに気づいたので、空手の技に切り替えることにし、相手もそれに同意しました。

相手のタックル試行にフットワークで躱す動きを続けていたのですが、思いきり蹴るわけにも行かずどうしようかなと迷っている隙を突かれ、胴タックルで持ち上げられてしまう結果に。

これは詠春拳で対応しても同じ結果になったでしょう。もちろん、私の経験不足もあり、タックルに正常な対応ができなかったことは大きいと思いますが、なにより条件が公平ではなかったと思います。相手はタックルできるけど、自分たちの蹴りは寸止めしなきゃいけない。試合ではなくスパーリングなので、この結果は受け入れるしかありませんが、ちょっと悔しい思いをしたのを覚えています。持ち上げられたのは事実ですからね。

併せて、この様子について先生から気づかれ、スクールの中で他流の人とやりあってはいけないと強く釘を刺されました。これは当然な注意ですので、私も強く反省した上で、タックル対策も習いました。それは今総合格闘技の練習で見られる方法と同じで、決して詠春拳にもともと存在する感じではなかったですね。

ローキック

私が詠春拳を使って行った、最後の頃のスパーリングです。部下に極真空手の選手だった子がいたので、スタジオでよくマス・スパーリングを行っていました。

基本的に待ちの組手をしているときは相手の攻撃がよく見えていましたけれども、自分が攻めるときによく左のローキックをもらってしまっていた記憶があります。極真空手の人は接近して打ち合っているときに自在にローキックや、場合によってはハイキックを出すことに慣れているのです。私も前蹬腿や側蹬腿で相手を捉えることはできましたけど、攻めているときに合わせられるローキックはかなりもらいました。私が前進してコントロールしているのでローキックそのものは大きな威力はないんですけれども、何回も同じ場所を蹴られると、ダメージが蓄積していきます。

このときにはあまり空手の練習をすることがなくなっていたので、かなり純粋に詠春拳でスパーリングをするようになっていましたが、こういうタイミングでの技に対応するためにはやはり、空手時代に得た昔の技をこだわらずに使ったほうがいいんじゃないか、とも考えるようになりました。練習をきちんとしておかないと、だんだん鈍ってきますから。

こんなこともあって、今はきっちり詠春拳を守るというより、以前習った武術の技術も、詠春拳で得た感覚を守りながら、その範囲を大きく逸脱しない範囲で練習している、という感じですね。

でも、このスパーリングを見た人が、私に詠春拳を教えて欲しいと熱望してきたこともあって、久々に純粋な詠春拳の練習相手を作るきっかけになったのはありがたかったです。この彼とはしばらくの間、毎日のように練習しました。

首相撲

こちらはスパーリングではありません。もうこのころは30歳を超えていましたし、相手は新入社員として入ってきた現役のキックボクシング選手でしたので、さすがにスパーリングは辛かったことはあります。マス・スパーリングよりさらに軽い技の交換くらいは行ったことがあるかもしれませんけれど。

その中で、キックボクシングで使う首相撲について教えてもらう機会がありました。詠春拳でも相手の首を捉えてバランスを崩す技術は伝わっていますし、ある程度対応ができるつもりでしたが、いざ組み合ってみると簡単にコントロールされてしまうのです。指は引っかけているだけで、力は全然要らないといいます。

当時は私も体幹があって、身長では負けていても体重は大きくは変わらなかったので、これはかなりショッキングな出来事でした。長い歴史がある格闘技にはやはり深い技術があり、それは必ずしも伝統武術だけのものではないのだな、と改めて感じ入った次第です。

まとめ

以上、詠春拳を習ってから数年間に行ったいくつかのスパーリングを思い出しながら、私の詠春拳の技能では対応できなかったいくつかの事例を上げてみました。私は詠春拳の一部の技しか知らないので、もしかしたら純粋な技術でも対応できる部分はもっとあったかもしれません。

相手の攻撃を捌く際に一つ目の対応が失敗した場合、次の対応への連携が必要となりますが、ここが特に未熟だった気がします。これを気づかされた中国武術の老師との出逢いについてはまた別の項で紹介する予定です。

私の場合は詠春拳で食べていく予定などはありませんでしたし、それだけに1日を費やすこともできませんでしたので、必ずしもこの武術に固執する必要はないと考えていました。であれば、他の格闘技や武術と交流するときは、その中で培われた対応法などを素直に採り入れて、それが詠春拳で練られた感覚の範囲を大きく超えるものでなければそれでいいのだと考えるようになってきました。

ひとつの流派の中にいるとその中での対応は高度なレベルでできるようになるのは間違いありません。しかし、それ以外のシチュエーションに対応しなければならないケースについては、広く研究する必要があると言えるでしょう。また、無理矢理詠春拳の技術で対応しようと工夫するより、他武術で発達した方法を採用したほうが自分のためになると感じた場面も多くありました。

その結果、私の技術の根幹には詠春拳や空手があり、他のいろいろな技術を取り込んだものを練習するようになっています。

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