左右均等?
詠春拳を習い始めた頃、この武術では左右をある程度同じように使えるようになることが重要だと言われました。このためか、少なくとも入門型の小念頭は各技を左右均等の回数で行うように組まれています。
それでも、考えようによっては必ずしも「小念頭は左右均等の練習をしているとは言えない」と思います。回数は同じでも、優先順があるからです。
小念頭では、左右それぞれ「攤手→護手」を1回、「伏手 → 護手」を3回の計4回、非常にゆっくりとした動作で同じ回数練っていきますが、この練習は左が先で右が後と決まっています。さらに、最後の直拳は左の直拳から始めて基本的に奇数回行うので、必然的に左の突きを1回多く行うことになります。このように、小念頭ではどうやら左を優先しているように見えるのです。
小念頭における、左と右。当時先生に教えていただいたことを思い出して書いてみます。
左を先に練習する理由
ここまで何度か書いているように、詠春拳の小念頭は他の武術の型と比べて、極めて時間をかけて行う型です。なにしろ、最初に習ったことをしっかり守ると、この型を行うのに1時間20分必要になるのですから。
これが、必ず左を先に練習するひとつの理由になっているんじゃないかと思います。
我々人類においては、右利きの人が多数派です。小念頭ではより集中力が高い前半の時間に「より不器用な左手の練習を行うほうが効率が高い」と考えているようなのです。右腕に関してはもともと器用なので、多少集中力に欠けていてもなんとか先生の教えるフォームをこなしやすい、ということなのでしょう。
(ただ、これには注意点があって、あまりにも集中力が散漫になったり、脚の疲れが腕に伝わって全身が緊張しかねないケースでは思い切って小念頭を中断して、再度集中力を高めてから再開せよ、とのことでした。)
確かに最初の頃はそれを感じました。左手をじっくりやったのに、右手のほうはいつの間にか急いでやっていたりとか、よくあったなあ、と思います。でも、現在はあまりそれを感じなくなっているのです。むしろ、左をやったあとに右に移ると、右の感覚がより敏感になって、例えば40分やる場合は、左が15分、右が25分、なんてやることも多くなっていたりするんですね。
こんなことを考えると、たまには「右から」やってみてもいいのかもしれません。ときどきこれを試してみようかな。何か気づきがあったらまたこの場で展開してみたいと思います。
もう一つ。最後の突きの回数を奇数にして左を1本多く行う理由については、より不器用な左の突きを練るためだ、と聞いています。これは「心がけ」レベルの話だろうと思いつつも、10日続ければ10本、100日続ければ100本、左のほうが多く練習されることになると考えれば、決して馬鹿にはできない差か。
ところで、この最後の突きはデモンストレーションでは3本だけ行うことが多いようですが、私は最低300本行います。はい。奇数ではなく偶数です。これだけの回数をやるのに左をわざわざ1本多くというのも気持ちが悪くて。
左の方が先に感覚を得やすい?
これは入門後まもなくの間先生に良く言われたことで、「多くの人が左手のほうが先に(詠春拳の)感覚を得る傾向にあるようだ」という話です。私の先生はもちろん、先輩方もそうだったということで。
先述の通り多くの人が右利きで、その器用な右手はいろいろな生活行動に使われ、その使い方が身についてしまっていると考えられます。なので、詠春拳の修行においても右手側はそのもともと持っている感覚を用いがちで、このクセが抜けにくいというのです。特に私などは空手をやっていましたので、そのクセを抜くのに時間がかかりやすい可能性があるという話でした。それに対し、左手のほうは右手より詠春拳の動きに対して「フレッシュ」であり、先に力が抜け、感覚を得やすい傾向にあるようだというのが、先生や先輩方の意見でした。
ただし、それはあくまでも傾向に過ぎず、私はその逆の結果、つまり右手のほうが先に感覚を得られた記憶があります。私の場合は先に右手側での気づきがあり、それが左に伝播していく感じがありました。以前も書いたとおり、今は1年以上1日も休まずに小念頭を続けていますが、より器用な右の気づきを左に反映するのは難しい場合も多々あり、現段階では右と左の間の感覚には少し乖離があるような気がしますね。
私はもともとの運動神経がかなり鈍いほうでしたし、今で言えば発達障害的な傾向がある子供で、普通の子供より左右の能力差が大きかった可能性があって、今になってもそこに若干苦労があるのかもしれません。2018/2019の体組成検査では特に下半身で右と左の組成の差が大きいと評価されているのも、生来の能力によるところが大きいのではないかと思っています。
私は最終的には詠春拳を好み、選んでしまったのですけれども、もしかしたら左右の役割をハッキリ分けた武術をやったほうがより良かったのかも。こればかりはもう、今となってはなんとも言えませんが。