その昔、詠春拳を習い始めたばかりのときのお話です。
習ったばかりの小念頭の部分練習を済ませ、その他複合招式などの基礎練習まで行った後、黐手の時間になりました。先生と組むことになり、私は左腕にはめた腕時計を外そうとしました。すると先生が、
「腕時計は外してはダメ」
というではありませんか。「え? 金属ベルトが当たると怪我しませんか? 外した方がよくないですか???」と聞き直しましたが、「とにかく外さず、そのまま黐手します」とのことでした。特に、理由も教えてくれません。
以後、毎回指摘されるのは嫌なので、練習に参加する前にあらかじめ腕時計を外すようになりました。
これは靴でも似たようなことを指摘されたことがあります。蹴り技での攻防の際に靴を履き替えようとすると、「その革靴のままで練習しなさい」と言われたのです。これも、相手に悪いので以後、革靴を履いていかないようにもしました。
これについてはおそらく、
「やむを得ない事情で詠春拳を使わなければならないときに、腕時計を外している暇はありますか? 相手が興奮して襲いかかってこようとするときに、あなたは靴を履き替えるのですか?」
「詠春拳はそのときに置かれた状態のままで、使えるようにしておかなくてはいけない」
ということを言いたかったのだと思います。
それまでの私が経験していた武道は基本的に剛柔流空手道だけでしたので、組手練習の前には組手に適した「準備をする」し、それが相手に対する「礼節」だということが当たり前でした。そんな空手道の習慣を私は無意識に詠春拳に持ち込もうとしていたわけですね。これは、新鮮な体験でした。
もちろん、今では組手などの練習をするときにはあえて腕時計を外します。でも、それは先生が教えてくださった意図を分かった上での判断で、今でも先生の教えは大切にしているつもりです。