小念頭を1日も休まず1年間続けてみた

まずは脱力

詠春拳の入門型と言われる小念頭。

若くて体力があるころはこの型の重要性が良く分かっておらず、練習したりしなかったりという状況が続いていました。でも、この5年くらいはコンスタントに練習していて、少なくとも記録を取るようになった2017年からは週6回以上の頻度で行っているようです。ただ、2020年の緊急事態宣言の影響でリズムを崩し、同年5月、6月と結構サボってしまったので、6月下旬に心を入れ替えることにしました。

中国武術においては初心者が練功を開始したら、3ヶ月は1日も休まず行え、という言い伝え(?)があります。それに習って私もまず3ヶ月、1日も休まずにやってみようと決意して、いつの間にか1年以上が経過していました。

これによって、何か変わったことがあったかな…? 実はあまり実感していません(苦笑)。もうすでにだいぶ固まってきている段階でのチャレンジだったので、あまり新鮮な気づきもありませんでした。

が、1年前の記録と現在の記録を改めて比較して見ると、小念頭を行っている最中の「感覚」がかなり安定していることが分かりました。

1年前は、特に気感が感じられる日とか、磁力の中で動かしている感覚が強い日とか、特に右に異常な「張力」を感じる日があったり、それらを全く感じない日があったりと、かなりばらつきがあったようです。残念ながら、全く感じない日、が一番多かったかな。それが今は、それぞれが毎回の練習で、極端に強くなったり弱くなったりすることなく、平均的に感じられるようになっているな、という感じがするのです。

毎日練習を開始する少し前から感じていたことではありますが、今は二字紺羊馬で立った瞬間に重心が決まる感じもありますね。

対人練習である黐手を練習する相手がいればよりいいのでしょうが、現在の私の目的が強くなるとか相手を制するとかではなくて、自分を制御する力を日々改善していきたいというものなので、小念頭尋橋の習った部分の繰り返し練習でもう満足なわけです。

スクールに通っていたときには1日1時間近く小念頭をやっていた記憶がありますが、今は20〜40分といったところです。平日が30分〜40分、土日が20分程度という感じですね。

本当は昔のように1時間程度かけたほうがいいのかもしれません。1年前に毎日練習にする前はたまに90分ほどかけていたりもしました。でも、社会人にとって1日90分も小念頭のために取るのは辛い話ですし、飛び飛びで練習するより、多少短くても安定的に毎日練習する方が良さそうに感じて現在の習慣に至っています。

これはもちろん、私の場合の話、ですので、人によって考え方や練習の仕方は違うと思います。

あと、小念頭と併せて毎日欠かさずやっているのが「直拳を300本」です。これは、先生に習っていたころに「1日最低300本突くように」課題を出されていたので、それに従ってのことですね。

ゆっくりした練習は、前にも書きましたが、一定以上の水準まで無駄な力を抜くのに必要ですし、精緻な力を練るのにはどうしても必要です。でも、ゆっくりとした練習だけでは、それに慣れすぎてスピードに対する神経的な抑制がかかる可能性を捨てきれないので、速い動きでの練習も同様に必要になると考えています。

この5年間で、詠春拳の直拳のフォームに限定すれば明らかに拳が重くなったような印象がありますが、これには毎日300本の、小念頭をやって脱力したあとの直拳練習が大きいのかな、という気がしています。

せっかく感覚が安定してきていることもありますので、毎日の小念頭+直拳300本を続けてみます。

さらに、実はもう一つ、小念頭に加えて剛柔流空手道の三戦転掌を毎日の練習に採り入れてみたい気もしています。以前、「チンクチ」の記事で書いたように、三戦のフォームと小念頭で感覚がかなり似てきているためなのですが、三戦では両腕を同じ位置に決めるようにしたときに、特別にうまく背中をいい感じで張れるように感じています。もちろん、小念頭や尋橋でも両肘を同時に出すパートがありますが、三戦の動きも新鮮ですね。

もちろん、本来の三戦の目的とは変わってきてしまうであろうことは承知の上。

ただ、現状ではせっかく練っている最中の小念頭の効果に干渉しないかという心配もあり、ルーティン化には躊躇している段階です。さらに、ここまであえて取り上げて来なかった「呼吸法」の問題もあります。

私自身は、高校時代に習った息吹にすごく違和感があり、あれは「やりたくないなあ」という気持ちが強いのです。(乱暴な大型犬に脅かされたときに、追い払うのに役立ったことはありますがね)

そのように感じる呼吸音は本来の息吹ことは異なっていて、本来の喉の締めではなく上顎などを使って意識的に音を出すような意味のないものになっているとも聞きます。また、大きな音を出す息吹の目的は、指導者に呼吸の状況を伝えるためだ、と剛柔流の専門書には書いてあったりします。

私の修練度では何とも言いがたいというのが実情ですが、三戦の本来の効果は得られなくても、小念頭のようにやわらかく呼吸する方法で、骨格(関節)や筋肉を操作するための補助運動として役立てることができたりしないものでしょうか…?

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