キックの鬼

沢村忠

昨日、1960年代後半〜1970年代前半頃に「キックボクシング」という新しい格闘技で一世を風靡した沢村忠さんの訃報が伝えられた。

私自身が格闘技に興味を持ったころはすでに彼の時代は終わっており、その現役時代の試合をリアルタイムに覚えているわけではない。でも毎週、TVから、「キック・ボクシング!」というタイトルコールが聞こえてきていた記憶はある。当時、TVのゴールデンタイムにキックボクシングの試合がテレビ中継されることは当たり前だったのだ。私がハッキリ覚えているのは富山勝治さんが活躍していた時代以降である。

現役時代の活躍は知らないのに、私は沢村さんのファンだった。私が高校時代に空手を始めてからキックボクシング系の書籍や記事が載った雑誌を良く買うようになり、「ゴング」誌などでときどき特集される沢村さんの試合写真、練習写真を見てがめちゃくちゃカッコいいと思ったからだ。相手のパンチが沢村さんの目の真下を捉えているのにまだ目を開けている写真が衝撃的だった記憶がある。こんなこともあっていつか、沢村さんの試合映像を見たいと思っていた。

その夢が叶ったのは成人した後で、ようやく彼の試合を収録したビデオテープが発売され、見ることができた。

キックの鬼”沢村忠 真空飛びヒザ蹴り伝説/沢村忠/DVD

もう手に入らなくなっているが、たぶんこのDVDが出る前に販売されていたビデオテープ版だと思う。残念ながらこのテープは人に貸したまま戻ってこなかったので、今では見ることができない。

当時はすでに高校時代に空手競技を経験していたため、ビデオに収録された試合映像の大部分はリアルファイトには見えなかった。殴られた後意識的にマウスピースを吐き出したりしている映像などは漫画の世界だな、と思ったりもして。それでも、日本の若手選手との試合映像では余裕やキックの威力などが垣間見えて面白かったのは覚えている。あくまでビデオテープに収録されたのは見栄えのする一部の試合だけだし、それ以外の試合がどうだったか、ということは私には言えない。

そういったリアルファイトどうか云々は別にして、それで沢村さんに実力がなかったかというと、それはないと思っている。

一度、沢村さんがタイに行って、現地のライト級チャンピオン、ポンチャイ選手と試合する映像を見たことがある。当時の沢村さんはまだローキックのカット対策が完全に身につく前の段階に見えたが、最終的に引き分けていた。沢村さんに有利となる「投げ」を認めたルールであったなど、通常のムエタイの試合ではなかったことは確かだが、タイの現地でムエタイのチャンピオンと引き分けたのはすごい話かな、と思う。

1973年には三冠王を取った王貞治さんを抑えて日本プロスポーツ大賞を取ったり、内閣総理大臣賞の受賞もされるほどの、記憶に残る選手だった

引退を巡ってはいろいろな噂があったものの、実際にはその後も空手の道場を開いて後進の指導に当たるなど、活躍されていたことを知って安心した。

剛柔流空手の世界の大先輩でもあった沢村さん。沢村さんの記事や試合映像には大変大きな刺激をいただき、厳しかった空手道部の練習も乗り切ることができた。心から感謝の意を表したい。

本当にお疲れさまでした。

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