1980年代前半に、「少林寺」という映画で中国武術がブームになり、至る所で「気」という言葉を聞くようになった。
なんでも、中国武術というのは神秘的なもので、筋力ではなく「気」という不思議な力で相手を打ち倒せるんだとか。そういう夢物語の世界に、少年時代の私は確かに「期待した」時代はあったかもしれない。
でも、その後高校の空手道部に入って現実を知る。先輩方にも「こんなはずじゃなかった、と思ってるだろ(笑)」と何度からかわれたことか。
その後縁あって、詠春拳を学ぶ機会に恵まれたが、ふと、少年時代の疑問であった「気」について聞いてみることにした。
先生の回答は、
「ん〜。気とかそんなそんな神秘的なものを求められても困るんだよな。気とか、そんな言葉はあまり使いたくないかな」
というもの。実際習っていくと、この武術は現実的なもので、空手と同じできついし痛いし忍耐力を求められるしで、かなりハードなものだった。あまり「不思議」という感じもしないけれども、先生や先輩方はどうやってこんなに強大な力を出せるのかな、とは思っていた。
そのうち先生が、
「気という言葉を現実的なものに置き換えると、意識の力とでも言えるのかな」
というようなことをおっしゃった。曖昧すぎて今でも正直分からないが、あのときの先生の強大すぎる力と感覚を考えると、なんか説明する力が必要なんじゃないかとも考えた。
私が所属したスクールではそんな感じだったが、詠春拳において「気」という言葉を使った人はいる。
これは、おそらく私が詠春拳を習っていたころにこっそり買ったものだと思う。ブルース・リーの兄弟子に当たる方で、友人でもあるWilliam Cheung (張卓慶)先生の著作である。
読んでみても良く分からなかったというのが事実だが、当時販売されてたビデオテープとかを見ても私たちが練習しているものとはまるで違う。結局、あまり影響を受けることはなかった。
最近はYouTubeでいろいろな先生が動く姿を見ることができるが、葉問宗師の高弟、徐尚田師父も詠春拳と気について触れていることを知った。
これを「気」と言っていいのか分からないが、徐尚田師父が体験者のからだを操作したり触れたりして、神経筋を促通しているらしいことが分かる。
徐尚田師父は他の動画でも似たようなデモンストレーションを行っているが、他者の操作をするだけではなく、師夫はご自身のみでこういう力を発揮できることが分かる。徐尚田師父の力を直接体験された方の話を伺うと、「なんでこんな枯れ葉のようなおじさんに吹っ飛ばされるのか、不思議でならなかった」とのこと。
最近、似たイメージで短時間で人の力を兄弟にするデモンストレーションを拝見した。
レノンリー先生が、「武学」のワークを紹介されている動画のひとつ。私もいくつかのワークを家族を使って試してみたが、再現性が高い。立ち腕相撲は家族では私が圧倒的に強いので普通にやる分には負けることはないが、ここで紹介されている正体禮法を家族にやらせたところ、私の腰が浮かされたりしてそれがまた面白かったりする。
いくつか動画を見ていくと、レノンリー先生が「詠春」というTシャツを着用されている動画があった。
詠春拳も修行されている先生なのかな。でも、武学とは大変すばらしいコンセプトだと思う。
ところで、こういったデモンストレーションを見ても不思議と思うことはほとんどない。
例えば、2019年にexfit TVの取材で氣慎塾様にご協力をいただいた際、以前から興味があった合気揚げを体験する機会に恵まれた。
この動画で氣慎塾・小嶋誠主範が実演されている1:16辺りの練習法を私も体験させていただくことになった。
小嶋主範に「強くしっかり握って抑えて」と言われたのだが、自分の武術では基本的にそんなことはしないので、ちょっと戸惑ったあとで両手を先生の膝の上に置かれた両手に私の両手を軽く乗せる感じになった。すると、手を置くか置かないかのうちに私は腰から浮かされ、転がることに。右にも、左にも。
ただ、やはり「不思議」という感じではないのである。物理的に最も効率が良い方法でコントロールされ、転がされている感じだった。いわゆる「力比べで感じるような強さ」ではなく、ふんわりとした力に感じた。併せて、私が手を置く前からコントロールされていたような気もした。
他にもいろいろとこういう体験はさせていただいたけれども、いつでも摩訶不思議な印象を持ったことは今までにない。
実は外から見て不思議に見える力も、極めて合理的な意識や体の使い方で実現しているのだと私は考える。
いずれ書くつもりだが、練習をしていてもからだが磁力を持ったような、何かが湧くような感覚を感じることがある。そういった付随する感覚の発生や、あるいはその感覚を頼りに技を磨いていく工程などもあって、「気」という概念が生まれたのではないだろうか? あくまで、中級者である今の私の感覚だけれども。
どの先生の方法も興味があって実際に習いたくなるのだが、武術の道場だと基本的に併修が認められないなどの制限があり、なかなか難しい部分がある。
中級者の私が言うのもおこがましいが、私自身はレノンリー先生の考え方が私の現在希望する方向性と似ている。私の中にはもう、基本的に相手を倒すとか、勝つとか、そういう意識はほとんどなくなったが(リアルには若いヤツには勝てない)、武術の理念を自分の生活を豊かにするために活用したいとは思っている。それが、今でも練習を続けるモチベーションになっているのだと思う。