詠春拳と截拳道についての私感

黐手

最初に、私は截拳道については門外漢であること(19941993年のセミナーの修了証はもらったけど)、この記事はその門外漢による単なる感想であることを断っておく。

1987年頃、日本でも知られ始めたブルース・リーの截拳道(ジークンドー)の指導者と、私の詠春拳の先生が黐手(盤手)をする機会があったという話を聞いたことがある。

詠春拳について興味がある方ならおなじみの対練法だ。

この盤手体験について詠春拳の先生は「截拳道の先生が行われた盤手は単に手をくっつけてクルクル回しているだけだった。率直に言って、截拳道に盤手や黐手の本当のところが伝わっているようには思えなかった」という意見を述べられた。

その理由については「ブルース・リーが弟子に伝えていないか、ブルース・リーの弟子がその先生に伝えていないか、あるいはブルース・リー自身が理解していないかのいずれかだ」、とのことであった。

当時の私自身は、アメリカのブラックベルト誌で伏手の使い方を正しく紹介しているブルース・リーの記事と写真を見ていたので、おそらく前二者の理由ではないかと考えていた。

しかし、その後ブルース・リーが20代前半のころに弟子のターキー木村先生と黐手を行っている動画を目にする機会があって、少し印象が変わった。その動画では、詠春拳の基本的な力の使い方よりもスピードを重視して、詠春拳では絶対やらないような肘を浮かして攻撃するような動作も見られたのだ。たぶんこの「黐手」ではブルース・リーの生徒さんたちには通じても、実質的な師匠と言われる黄淳梁師や葉問宗師には太刀打ちできないだろうと正直感じたりした。

ただ、この映像だけでブルース・リーが盤手での力の運用を理解していない、と考えるのは早計かもしれない。1965年の香港で葉問宗師とブルース・リーが盤手を行う写真が何枚か残っているが、これらの写真を見る限りではおそらく詠春拳的な力の使い方をしているのだ。いろいろな話はあるけれども、明らかに葉問宗師はブルースをかわいがっている感じだし。

私自身は完全ではなくても、ブルース・リーは詠春拳的な力の運用については理解していたのではないかと思っている。形だけの詠春拳では、シアトルの札付きのワルたちをビビらせたり、アメリカ空手の父とも言われたエド・パーカー師を感服させることはできなかっただろう。

先の20代前半の動画については、より手っ取り早く解決できる方法があればそれを使ってしまうブルース・リーの特性が表れたものではないかと感じた。

さて、話は変わって、私自身も1993年に截拳道の一部を体験する機会に恵まれた。ブルース・リーの道場経営パートナーでもあったダン・イノサント先生が来日されたのでそのセミナーに参加したのだ。

カリキュラムの中に盤手があった。日本の若手インストラクターの方々の盤手を体験すると、詠春拳の先生が過去におっしゃった通りの印象だった。たまたま、このセミナーには私以外に詠春拳道場生が参加されていたのだが、盤手のフォームを截拳道の若手インストラクターに修正されたといって笑っていた。そんな形にすると詠春拳の経験者に簡単に破られてしまうのに…みたいなことをおっしゃっていたと思う。この詠春拳道場生の方は私よりも練習が先に進んでいて、練度も高かったので、私よりも正確に分析していたと思う。

ただ、その詠春拳道場生に対して私は「あなたのフォームを修正したインストラクターのレベルと、ダン・イノサント先生、(イノサント先生を招聘された)中村頼永先生には差があるのではないか」という意見を述べてみた。この件については、詠春拳道場生も同意していた。というのも、少し前に行っていたイノサント先生と中村先生の片手で行う「単黐手」のデモンストレーションが見事だったのだ。

また、詠春拳練習生に、「さっき中村先生に飛び込んでの拍手(パクサオ)をされていたけど、どんな印象だった?」と聞かれたことを思いだした。

私は、「詠春拳の拍手とは感触が違った。中村先生のはスピーディかつパワフルで、『バーン』という感触。それに対して、詠春拳の拍手は『ズーン』と重さが乗る感じでもっと腰から崩される感じ。そんなところ。同じように効果があるし、どっちが優れているというわけではなく、異質ではあった。」というような回答をしたことを覚えている。詠春拳練習生の外から見た印象もそのような感じだったそうだ。

ちなみに、長く自分が所属していた道場から離れていた私の動きも矯正してもらった。

「右腕の重さや、相手の動きに対する反応はさすが。ただ、左肘の使い方は少し修正が必要だ。方向がほら、違うでしょ」

と。これは本当にありがたい機会だったし、このアドバイスは未だに生きている。

詠春拳と截拳道。截拳道に含まれる詠春拳の練習法は、少なくとも1993年の経験からは別物といってもいいかな、というように感じた。でも、なんでも吸収する截拳道だから、他の詠春拳の先生を呼んで補完したり吸収したりしているところもあるだろうし、当時と今では状況が変わっているかもしれない。また、現在はテッド・ウォン師系の詠春拳の影響をほとんど受けていない截拳道も知られるようになっているし、一緒くたに「截拳道」と表現するのも難しくなっている

最後に、先ほどブルース・リーの黐手で黄淳梁師の黐手には太刀打ちできない可能性が高い旨を書いたが、これは詠春拳と截拳道の優劣について触れたものではない

黄淳梁師の弟子だった温鑑良師のインタビュー動画を見たことがあるが、燃えよドラゴンのセットで黄淳梁師とブルース・リーがスパーリングをしたことがあったそうだ。

温鑑良師によれば、黄淳梁師はブルース・リーの動きに翻弄され、直線を旨とする詠春拳の手技が曲線の動きになってめちゃくちゃになってしまっていたそうだ。その後、黄淳梁師は「自分が勝っていた」と言ったそうだが、温師の印象では「ブルースが優勢だった」とのこと。ただ、温師がその後も截拳道のような武術を選ばず、詠春拳に残った、ということは、このスパーリングには詠春拳のいいところもたくさん見いだせたのではないかな、と想像する。

このスパーリングについて黄師がブルース・リーに関する香港雑誌に寄稿した内容では「確かにブルースの突きが先に私に当たったが、その直後にブルースの喉元には私の標指が届いていた。ブルースは彼の突きが先に当たったと主張した。確かに、リーが本気で私を突いていたら私はダウンしていたかもしれない。だが、その突きは詠春拳の受け技で威力が半減していたのに対し、私の標指はまともにリーの喉元を突いていた。どちらが深刻なダメージを負っただろうか」ということだ。

何しろ、もう50年近く前の話だ。真相は分からない。

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